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経営に失敗し、200万円の借金を背負った2児のパパが、ママの一言で救われた話。

警察官を辞めたのは、悔いのない人生を歩みたかったから。

「実は借金してるねん…200万円」

家族づれでにぎわう動物園で、僕は妻に打ち明けた。妻の丸い目が見開かれ、僕は膝の上に置いた拳を握る。事業が軌道に乗らず生活費を払えなくなり、僕は妻に黙ってカードローンに手をつけていた。

4歳の息子と1歳の娘は、おやつに夢中だ。

「家族でいられる時間は、今日が最後かもしれない」
夢を持って起業した僕は今、人生のドン底にいます。

警察官からパパ起業家へ

もともと僕は警察官でした。きっかけは周りから「正義感が強いから、警察官とか向いてるよ!」と言われたこと。周りの期待に応えるのが使命だと勘違いして、死ぬほど勉強して、警察官になりました。

憧れの先輩の背中を追いかけて、大阪府警の外事課へ。
国際テロ対策、諜報活動、国際犯罪の捜査などを扱う仕事でした。VIVANTとか見てると、派手にテロリストと戦ったりしてカッコよく見えるかもしれないけど、実際はめちゃくちゃ地味だし、誰にも褒めてもらえない。もっと言えば家族にも仕事の話は口外できない。

やりがいは、あった。でもどこか違和感があって、「警察が天職なのか?」と問わずにはいられない。警察という限られた世界しか知らずに死んでいく気がした。

「俺の人生このままでいいのか?」

周囲がイメージする「こうあるべき」に合わせてきた。自分を殺すから、常に心は満たされず、後悔が付きまとう。きっと死ぬときまで後悔するのかもしれない。そんな人生はいやだ。

「心のままに生きよう」

僕は制服を脱いだ。

パパ起業家がんばる!スタートは良かった

現状を変えるために、とにかく行動しました。毎朝5時に起きて、警察署近くのカフェで本を読んだり、勉強したりと、自己投資の時間を作った。そのとき読んだ大竹秀明さんの『輸入ビジネス3.0』に感銘を受けて、転職を決意。仕事を辞めるまでに紆余曲折あったけど、妻の理解も得られて、起業できました。

・貿易業
・講演
・アパレル制作など

さまざまな仕事に挑戦し、会社も設立。私の理念でもある「挑戦(TRY)を決意し、行動(ACTION)すれば、人は必ず変われる(CHAGE)」から社名を「TRACH (トラッチ)」と名付けました。

主な業務は、これまでの警察での経験を活かした分析(プロファイリング)やコーチングです。仲間が4人も集まり、中には「たくやさんについていきます!」と会社を辞めてTRACHに加入したメンバーまで。胸の中に火が灯ったように、やる気に満ち満ちていました。

暗雲が立ち込める、泥沼パパ起業家へ…

ただの起業家ではなく、社長になった僕は社員を守らなければならない立場になりました。

挫折① 社員役員の給料が払えない

大切な仲間にはちゃんと給与を支払いたい。しかし、毎月安定した売上が出ません。人件費がジワジワと首を絞め、会社の通帳から残高が減っていきました。

結果、給料を支払える見通しが立たず、雇用契約解除をお願いすることに。社員は会社の事情を理解してくれ、将来必ず支払うと約束し、トラブルゼロで契約解除。悔しさに唇をかみ締め、会社を経営することの難しさを思い知りました。

挫折② 妻や両親にも「お金で困っている」と相談できなかった

なんとか立て直そうと、コーチング業や言語化サービスを見直しました。それでも手元に残る利益はわずか。そして、とうとう僕の貯金は空に。それでも毎月かかる生活費や事業の活動費用を工面するため妻からお金を借りたり、子どもの貯金を切り崩したりするようになりました。

数ヶ月後、妻から「もうこれ以上貸してあげられるお金ないよ」と言われました。そのとき相談すれば良かったのに、僕は「親に頭を下げるのは格好悪い」「自分でなんとかしないと!」と思い込んで、カードローンやキャッシングに手を出し始めました

「キャッシングだけは絶対にしないでね」

そう釘を刺されていたにも関わらず、妻に黙って…。

生活費の不足分をおぎなうために、最初は3万円のローン。人生初のカードローンに、心臓がバクバクと動き破裂しそうでした。でも緊張したのは最初だけ

10万、15万円…借金の抵抗感が徐々に減っていきました。
それでも妻への罪悪感は強く「早く打ち明けないと」と思っていたんです。
でも話そうとすると冷や汗が出て、言葉が出ない。秘密を抱えたまま、時間だけが過ぎていきました。

挫折③ 生活費のために物流夜勤の仕事をする

収入源を確保するため、倉庫作業のバイトを始めました。妻には「会社の状況がちょっと厳しくて」と相談していたので、子どもの眠る時間に働ける物流倉庫の夜勤の仕事を選びました。

主な業務は、商品や材料の入出庫管理、ピッキング、パッキング、在庫管理など。

重い荷物を運ぶ力仕事や単調な作業ばかりです。「警察官」「起業家」と世間では”カッコイイ仕事”をしていた僕が、倉庫作業

黙々と作業する現場で、コミュニケーションは生まれません。意欲的に仕事に向かう人は少なく、僕自身も心が腐っていきそうでした。(というか腐ってました)

渋々の倉庫作業でしたが、あるおじさんとの出会いをきっかけに、前向きに取り組めるようになります。(←こちらの記事は以下になります)

挫折④ 借金は200万円。とうとう妻に告白

膨れあがった借金を秘密にしたまま、ちょうど迎えた僕の誕生日。お祝いをかねて、家族みんなで動物園にやってきました。そのとき、僕の貯金残高と会社の資金残高を合わせた額は5,000円。生活費の支払いができないのは確定でした。

「ほんとうのことを打ち明けたら、離婚されるかもな…」

これが最後の家族との時間になるのかも。
そんなことを思いながら、楽しそうな子どもの横顔を眺めていました。もうそろそろ帰ろうかとベンチで休憩していたとき、妻からふいに

「明日の幼稚園からの引き落とし分(年間のバス代や給食代など)、ちゃんと用意してる?」

と聞かれました。

最近支払いの督促状がきていることを不審に思ったのかもしれません。
これ以上隠しきれないと思い、とうとう僕は
「実は…」
と借金があること、生活費や幼稚園からの引き落とし分が払えないことを打ち明けました。

「なんでもっと早く言わないの!」
妻は当然怒っていました。
責められるとばかり思っていた僕に、妻はふぅとため息を付き

「で、これからどうしていくの?」

と未来の話をしてくれました。また、

「まず借金を全部返した方がいいよね。車を売る?」
「家も手放して、お義父さんたちと一緒に住んでもいいよ?」

車をいつも使うのは妻なのに。自分のことは置いて、家族のために考えてくれる。その姿と自分の情けなさにに涙が堪えきれませんでした。僕は事の顛末を洗いざらい話し、家族をちゃんと守れるように努力しようと、改めて決意したのです。

ドン底上等、諦めない背中を子どもに見せたい

車を売却したおかげで、借金は一部返済できました。妻のおかげで、もう一度立てたスタートライン。これからどう会社を軌道に乗せるか、正確な勝ち筋は見えません。

こんなに痛い目を見ても、僕はやっぱり挑戦を諦めたくない。制服を脱いでも、子どもの”ヒーロー”でいたいから
崖っぷちパパ起業家の逆転劇は、ここから始まる。

つづく。


※ この記事は友人で、現役のプロライターでもあるママさん「ことロップ」さん代筆のもと制作しました✨

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