オーストラリアがぼくに教えてくれたこと。〜外国人として生きる、ぼくにとっての「旅」〜
どうもこんにちは!タクトです。
最近「旅」っていうテーマがぼくの身近なところにあるから、ぼくも自分の「旅」について話をしようと思う。ちょっとでも読んでくれたら嬉しいよ。じゃ、始めるね。
初海外!オーストラリア。
だいたい2年前、ぼくはひとりでオーストラリアに旅立った。1年間のワーホリ。初めての海外、初めての一人暮らし。当時ハタチのぼくには初めてずくしだった。
今でも覚えてるんだけど、カッコつけてたのかなんなのか、友達に「怖くない?」って聞かれた時は「いや、そんなに。」とか言ってた。出発当日とかは内心けっこうビビってたんだよね、本当は(笑)。まあ、なんやかんや開き直るたちだから嘘でもないんだけど。
ぼくは北海道の札幌で生まれて札幌で育って、札幌の景色しか見てこなかったから余計にビビってたのかもしれない。東京も行ったことなかったよ(笑)。そんな当時のぼくからしてみれば海外なんて未知の世界だったかな。
さてオーストラリアはシドニーにワーホリで行ったわけだけど、英語は学生時代の知識はあるもののなんて言ってるかわからないし、ぜんぜん喋れなかった。そんなんじゃコミュニケーションもクソもないので語学学校に通うことにした。クラスメートのコロンビア人に「Do you have facebook?」って聞かれたのがなんて言ってるかわからなくて「Ah〜」ってなんとか絞り出そうとしてたら苦笑いされて取り返しのつかない空気にしたのは忘れられない(笑)。
ちょっとずつ学校も慣れた頃、だいたい2ヶ月くらいかな、時間もあって暇だし、お金も無くなってくるから、仕事しようと思って仕事を探し始めた。
最初に働いたのは日本人経営のラーメン屋さん。ホールの仕事だったからお客さんと話さなきゃいけないわけで、毎日頭をフルに使って、わからない時は誰かに聞いて、なんとか英語を絞り出していたね(笑)。でも今となってはその環境がすごく良かったと思っていて、似たようなセリフになるけど学校にいるより英語を使っていたし、その分聞くから耳も慣れる。まさに場数をこなすってやつだけど、そこで働いて3ヶ月くらい経った時には仕事では、聞き返さなくとも返せるようになっていた。不格好なりにも、一応のキャッチボールができるようになった、そんな感じかな。
オーストラリアでバリスタになる。
そこではしばらく長く働いて、気づけばワーホリの1年が終わりかけていた頃にひとつやりたいと思うようになったことがあった。実はオーストラリアはコーヒーの文化が発達していて、街にはウンマンとカフェがある。いつしかぼくも「バリスタってカッコいいな。」って思うようになったんだよね。オーストラリアに来てからいろんな大人の人たちに「ローカルの仕事を見つけるのは難しい。」って言われたのもあると思うんだけど、「オーストラリアに1年住んでました。日本人がやってるラーメン屋さんで働いてました。」だけだとなんか達成感がないというか、自分の中でも「このまま帰っていいのか。。」っていう思いはあったから「バリスタになろう。」ってそこで決めたんだ。日本人がやってるカフェはめちゃんこ少ないから必然的にローカルのカフェを探すことにもなる。やりたいことが見つかった。
でもワーホリビザが切れちゃうからビザの切り替えをしなくちゃいけなくて、学生ビザに切り替えて、学校を選んで、保険に入った。ワーホリの時にちゃんとお金貯めといて良かったってめちゃめちゃ思ったよね(笑)。じゃなきゃこの決断はできなかった。
そんで30件くらい履歴書渡し歩いて(求人のウェブサイトもあるけど当時は履歴書手渡しは割とノーマルだった)、ある1件のカフェから面接の連絡をもらってとうとう働くことになった。「やった!」と喜んだのも束の間で、そこのカフェは日本人はぼくひとり。もちろん対お客さん、それから対スタッフも英語だったから、また英語の壁にぶつかることになったんだよね。
また動き回りながら、頭をフルに使って、わからない時はスタッフに聞いたりググったり、英語を絞り出していく。やっぱり場数をこなすことはある程度必要で、2ヶ月くらい経った時、日常会話くらいはできるようになっていた。速い球は投げれないけど一応ちゃんとしたフォームでキャッチボールができるようになった、そんな感じかな。
カフェではオーストラリア、韓国、インドネシア、ネパール、インド、ブラジル、いろんな国籍の人と仕事したけど、英語の解釈の違いとか、仕事に対する考え方の違いとかで何回もぶつかった、言い合いになった。今も仲はいいんだけどね(笑)。
ちょっと長くなったけどこれがぼくのオーストラリアでのざっくり2年間。語り尽くせばキリがないからこの辺にしておくね。
旅って。
ところで「旅」と聞くと、どんなものを想像するかな。ぼくのイメージは、短期間、2日3日でどんどん次の場所に移動していくものだ。多くの人がイメージするのもこれなんじゃないかな。
ここまで書いてきた通り、2年の間にいろんな壁にぶち当たった。英語でコミュニケーションが取れなかったり、カフェの仕事見つけるのにめっちゃ時間かかったり、やっぱり第二言語のすれ違いで喧嘩になったり、せっかく見つけたカフェもクビになったり(笑)。厚い壁、高い壁、いろんなのがあったけどひとつひとつ乗り越えて、それがぼくを成長させてくれた。
(ちなみにカフェをクビになった話はこちら☝︎)
そう、ぼくにとってはこれが「旅」だったんだよね。もちろん短期でラウンドするようなスタイルを否定するわけじゃない。ただ、これも「旅」だとぼくは思うんだ。
まとめ
ここまでタラタラ2000字ちょいで書いてきたけど、日本語が通用しない環境で、外国人として生活していくことはそう簡単なことではないと思うし、そしていろんな世界、景色を見ること、それらは人を成長させてくれる経験だと思うんだ。だからぼくはこれからも自分なりの「旅」をしていくよ。次はどこの国がいいかな〜。
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