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#2 プロのレーシングドライバーになるまでの道のり Part2
#2 プロのレーシングドライバーになるまでの道のり Part2では、4輪にステップアップしてからの話を書いていきたいと思います。
そもそも、#1で書いた通りプロドライバーを目指して頑張ってきましたが、まさかこんなに上手くいくとは思ってもいなかった。と言うのが本音です。
◾️高校卒業後
高校を卒業する前に3級整備士を取り普通に働く先も決めていましたが、フォーミュラートヨタレーシングスクール合格の連絡を受け高校卒業後の進路が変わりました。
高校卒業して自動車の免許を取得後、すぐに監督だった関谷正徳さんのアパート(静岡県御殿場市)に引っ越す事になり、最初は1人暮らしではなくメカニックの方と同居して御殿場での生活がスタートしました。
その時、福岡から親と一緒に自走で御殿場まで行きました。
同じアパートには、山路慎一選手、大嶋和也選手、エイドリアンスーティル選手など、レースをやっていれば当たり前のように知っているドライバーさんばかりでした。
◾️フォーミュラートヨタ
18歳でフォーミュラートヨタでレースデビューをしましたが、フォーミュラートヨタレーシングスクールをビリのタイムで通過しただけあって、なかなか最初は速く走る事ができず、関谷さんから無線で「ハエが止まるぞ〜」って言われるくらいでした。ハエが止まるくらい遅いと言う事です。
そんな中でも、2年間毎日車両をメンテナンスしているガレージに通い、朝のトイレ掃除から始まり、メカニックさんに教えてもらいながら車両のメンテナンスや掃除をやっていました。
2年目にはフォーミュラートヨタのミッションだったら自分で分解して組み立てる事ができるようになっていました。
2006年(18歳)1年目のリザルトは、フォーミュラートヨタがシリーズ6位、フォーミュラーチャレンジジャパンシリーズ10位。
2007年(19歳)2年目がフォーミュラートヨタシリーズが3位、フォーミュラーチャレンジジャパンシリーズが6位と言う結果でした。
1年目はメカニックの方と同居してましたが、2年目に同じアパート内で引越しをし1人暮らしをする事になりました。
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2年間2つのカテゴリーを戦わせてもらいましたが、良い成績を残す事ができず、九州に帰る覚悟すらできていたのですが、年末にF3のテストにトムスから参加させてもらい、翌年のシートを獲得する事ができました。
今思えば、メンタル的に辛い2年間でしたが、2年間ガレージに通った経験で車の知識が増え、辛い状況を同じ境遇の仲間と一緒に乗り越えたからこそ、今の自分があるのだと思っています。
間違いなく、今の自分はこの2年間の経験が活きている。そう感じています。
◾️Formula3
2008年(20歳)F3デビューから3連勝と奇跡的なデビューを果たしますが、シーズンオフのテストからチームメイトの国本京佑に勝てず、かなり厳しいシーズンオフを過ごしていました。
厳しい事ばかりだな〜・・・笑
ですが、開幕前最後のテストで気持ちが吹っ切れ、思いっきり走ったら結果がついてきたのです。
考えることは重要ですが、考えすぎて本来の自分を表現できないのは良くないってこの時に気付きました。
2008年シーズンは、チームメイトの国本京佑と毎日一緒にトレーニングに行ったり、レースで同士討ちをして2人で坊主になったり、本当に彼との思い出はいっぱいあり過ぎてここでは語れません。笑
2008年ランキング1位は、カルロバンダム(ニュルブルクリンク24時間レース現チームメイト)、ランキング2位が国本京佑、そして私が3位でした。
F3といえば年末に開催されるマカオGPを目標にして、世界各国で開催されているカテゴリーです。
日本シリーズから上位2名が参加できるという事で、カルロと京佑がマカオGPに参戦して、私はお手伝い(ドライバーサポート)役として現地に行きました。
そこで、衝撃のレースを目の当たりにします。
国本京佑が日本人2人目、佐藤琢磨さんに次ぐマカオGPウィナーとなったのです。
これは、私のレース人生で1番衝撃を受けた出来事だと思います。
一緒に日本で戦った仲間の優勝。感動のレースで素直に嬉しかったですが、それ以上に私がマカオGPに参戦できなかった悔しい思いを持って日本に帰国した事を今でも忘れられません。
来年こそは自分が!と。
そして、翌年2009年(21歳)F3 2年目のシーズンも開幕3連勝を達成しました。
この年のチームメイトはマーカスエリクソン(元F1パイロット、INDY500ウィナー)と国本雄資(京佑の弟)です。
最終戦まで、マーカスエリクソンとチャンピオン争いをし、戦いに敗れシリーズランキング2位となりました。
最終戦、スポーツランド菅生での戦いは今でも忘れられない悔しいレースです。
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こうやって記事を書いてると、ずっと厳しい思いをしたり、悔しい思いをしたり、あまり良い思いをせずにレースキャリアを進めてきたんだなと思いました。笑
ランキング2位になり夢であったマカオGPに参戦し、日本人最上位の6位という結果を獲得しましたが、前年に国本京佑の優勝を目の当たりにしたので、あまり喜べる結果ではなかったです。
今思うと、私が参戦した時のマカオGPのメンバーはなかなか凄かったと思ういます。
ジュールビアンキ、バルテリボッタス、ダニエルリカルド、エドアルドモルタラ、サムバート、ブレンドンハートレーなどなど。
今でも、お酒を飲んで気持ちよくなると自慢したくなる話である。笑
◾️フォーミュラー日本
2010年(22歳)でフォーミュラー日本(現スーパーフォーミュラー)にセルモインギングより参戦しました。
ポイントは地元オートポリスの一回のみ。
前半戦はパワーステアリングが無く、死ぬほどハンドルが重く、とにかく筋トレをして体を大きくしていた時期でした。
この時が過去最高体重の65kgくらいだったと思います。
現在は59kgなので、筋肉量でそれだけ重かったという事です。
フォーミュラー日本では、1回も手応えを感じる事なくシーズンが終わってしまい、それと同時にフォーミュラーのシートも無くなってしまいました。
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フォーミュラーだけでは無く、2008年にIS350でスーパーGT300クラスにデビュー、2009年〜2010年は、カローラアクシオで国本雄資と組んでスーパーGT300クラスに2年間参戦して優勝も経験させてもらいました。
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◾️GT500
2011年(23歳)フォーミュラーのシートは無くなったものの、GT500クラスにステップアップしSARDチームに加入し、石浦広明選手とLEXUS SC430をドライブしました。
GT500デビューイヤーで2回の表彰台を獲得し、優勝できるチャンスもありましたが、接触やトラブルで結果としてはシリーズ7位となりました。
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この年に、初めてお給料をもらってレースをしたので、ここで初めてプロドライバーになりました。
逆にこの年までは、トヨタ自動車からレース活動費をサポートして頂いていただけで、お給料は無くスポンサーの方や地元の支援者の方々のお金で生活をしていました。
この年に感じたことは、評価は自分がするものではなく、人がするものという事です。
自分では、そこそこ走れていると思っても、そのシートを決めるのは自分ではないので、シートを決める方にどれだけの印象を残せたか、という事が重要だったのです。
◾️シート喪失
2012年(24歳)も継続でGT500に参戦できるものだと思っていましたが、年明けにシートがない事(実質トヨタからのクビ)を告げられ、私のレース人生は一旦終わります。
終わったとはいえ、ギリギリでスーパーGTのシートは見つかり、GT300クラスにイカ娘フェラーリで参戦。参戦したというだけで、トップ争いをできるパフォーマンスは無く、厳しいシーズンになった事は間違いありません。
同年に、GAZOO Racingからお声がけ頂き、TOYOTA 86のデビューレースでニュルブルクリンク24時間レースに参戦しクラス優勝を果たしました。
シート損失したものの、6年間で国内トップカテゴリーであるフォーミュラー日本とGT500を経験させてもらった事に対して感謝の思いしかありません。
この6年間の経験が井口卓人を大きくし、存在意義を示してくれたディープすぎる6年間だったと思います。
ここで私のレース人生第1章が終わります。
次回、#3 プロのレーシングドライバーになるまでの道のり Part3はレース人生第2章のスタートから現在を記事にしたいと思います。
レース人生第2章の話は、もちろんスバルの話になります。笑