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#1 プロレーシングドライバーになるまでの道のり Part1

ここでは、私が福岡の田舎からプロドライバーになるまでの道のりの話をしたいと思います。プロになるまでに色々な事がありすぎて、ここで全てを書ききれないと思いますが、、笑

皆さんに少しでも興味を持ってもらえればと思います。



■幼少期

私は、1988年(昭和63年)の2月13日に福岡県柳川市で産まれました。

幼少期から車に興味があったようで、家族で本屋に行くと絵本コーナーには行かずに父と一緒に車関係の雑誌コーナーに行っていたそうです。

小さい時から文字を読むのは苦手でしたが、カッコいい車を見るのは大好きな少年でした。笑

小さい時は、モトクロスライダーをやっていた父の影響で週末になるとモトクロス上に行き泥んこ遊びをやったり、よく家族でキャンプに行ったりしていました。


■小学生

小学生になると、水泳、ソフトボール、バドミントン、相撲、乗馬、モトクロスなど色々な事に挑戦させてもらいました。

父の影響もあり、基本的に日曜日は家族でモトクロス場に行き、私もホンダの50CCバイクに乗り父と一緒に練習をしていました。

しかし、その時に1番ハマっていたのはモトクロスではなく相撲だったかもしれません。

私は小柄だったので決して強い力士ではありませんでしたが、体が大きな力士をどう倒していくかという事を考えるのがとても楽しかった記憶がありますし、地元で開催された雲龍相撲大会でベスト8に入った事があります。

とはいえ、父と一緒に出場したモトクロスの大会でクラスは違えど2人で表彰台に立ったのも忘れられない良い思い出です。

そんな中、一つの転機が訪れます。

父と一緒に行ったモトクロスの練習中に父が転倒しヘルメットは真っ二つに割れ意識が朦朧とした状態で横たわっている父の姿を見たのです。
(現在、父は元気に過ごしています)

その時に、絶対にバイクには乗らないと心に誓いました。その時、まだ10歳でした。

それをきっかけに、モトクロスをやめましたが、私自身車に興味があったことから「カートに乗ってみたい!」と両親に伝えました。

そうすると両親は、すぐに子供でも乗れるカートコースを探して連れていってくれました。

そこは、九州道基山インターの横にある福岡カートランド(現在A-ONEサーキット)でした。

そこで、レーシングカートを体験した私は、操る楽しさ、スピード感、音、臭いに魅力されレーシングカートを始める事になります。

本格的にレーシングカートを始めたのが、熊本県山鹿市にある中九州カートウェイでした。

その頃は、インターネットなど普及しておらず、中九州カートウェイに父が電話をしてくれて子供がカートを始めたいがどうしたら良いか?と連絡してくれて、私のカート人生がスタートしました。

私の1つ目の転機は、父がバイクで大けがをしたことでカート人生がスタートしました。


■中学生

1年の練習期間を経て、レースに参戦したのは12歳で中学1年生だったと思います。初レースでポールポジションを獲得し、レースは6位だったと記憶しています。

初めてのレースでポールポジションを獲得し、私は天才だと勘違いした事と、予選1位だったのに決勝が6位になった悔しさで、レースの世界にどっぷりハマってしまったのです。

中学時代は、テニス部に所属し真面目に平日の練習には参加していたのですが、週末には必ずカートの練習に行くため、テニスの試合には参加した事は3年間の中学生活で1回か2回だけでした。

カートの方は、九州内のシリーズで優勝を経験しましたが、シリーズランキングは万年2位で悔しい思いばかりしていました。


■高校生

高校は、福岡県久留米市にある久留米工業大学付属高等学校(現祐誠高等学校)の自動車科に入学。

レーサになる為には、車の事を知っておいて損はないという思いから自動車科に入学を決めました。

あと、柳川市から久留米まで約25㎞の道のりを自転車で通えばトレーニングにもなると考え往復50㎞の道のりを毎日自転車で通いました。

高校生になると、カートの活動費の足しにとガソリンスタンドでバイトを初めて、人生最初で最後となるバイトを経験しました。

カートでは、九州内最高峰のクラスでタイトルを獲得後、16歳の時に初めて全日本選手権に参戦しました。

お金持もなかったのでフル参戦ではなくスポット参戦。

九州から近かった、兵庫県の猪名川大会に参戦し6位入賞。同年に那須で開催された東西統一戦に参戦し6位入賞。

そして、17歳(高校3年生)の時に2つ目の転機が訪れます。

高校最後の思い出作り(親が金銭面でサポートするのはここまで)と家族会議でなり、それだったら最後に日本最高峰のクラスに参戦して、FTRS(フォーミュラートヨタレーシングスクール)を受けようという話になりました。

もちろん、走った事のないコースで開催されますし、九州から練習に行けるわけもなくぶっつけ本番のレースもあったので、結果を出せるなんて思ってもみませんでした。

その年に、全日本カート選手権FAクラスで九州出身ドライバー初の全日本チャンピオンになり、鈴鹿サーキット南コースで開催されたアジアパシフィック選手権ICAクラスで3位表彰台、フォーミュラートヨタレーシングスクールを首席で卒業しプロドライバーの道が切り開かれました。

ココだけの話、富士スピードウェイの本コースで行われたフォーミュラートヨタレーシングスクールの最終選考は10人中ビリタイムでした。

後の話で、タイムではなく取り組む姿勢と性格で選んだとのこと。真相は分かりませんが、奇跡的な人選だったことに間違いありません。笑

右は、同期の国元京佑選手。2008年マカオGPチャンピオンです。

私の転機2つ目は、全日本カート選手権でFAクラスで九州初のチャンピオンを獲得し、フォーミュラートヨタレーシングスクールを受講し受かったことです。

カート時代は、親も借金をして僕にカートをやらせてくれましたし、沢山の応援者の方々にサポートして頂き全日本カート選手権に参戦できました。

ここで、1つ言えるのは井口家は決して裕福な家庭でもなく、レース関係者のコネクションも無い状態でここまで来たという事です。

次回、#2 プロレーシングドライバーになるまでの道のり Part2では、4輪にステップアップしプロドライバーになり現在に至るまでの道のりを投稿したいと思います。




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