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軸がある生き方とは?
大学ではテストが終わり、なんとなくやることがない生活を送っている。
特にやることがないが、楽しい。自分の好きなことがなんでもできる。しかし、何をしなくても良い。将来のことに思いを馳せつつも、自分の過去についての振り返り、考察を行っていく。
「自分の人生をそのように歩んできたか。自分はこれからどのように歩んでいくべきなのか。また、過去のどの出来事が自分の今の選択に影響しているのか。」
しかし、
過去の自分と、今の自分をつなげる。
この作業はとても苦手だ。
今年の10月くらいに、友達と自分のこれまでの人生について、過去の出来事と今の状態がどのようにつながっているのか、過去の大きな出来事はなんだったのか、ということを考え、指摘し合う「壁打ち」を行った。これは、就活の自己分析などでも行うものらしい。
その友人は、今大学で学んでいることと、過去の出来事、自分の気持ちの性質をうまく捉えており、今の状態とそのつながりを客観的に分析できていた。
しかし、自分は過去の出来事と、今の自分の状態をうまくつなげることができなかった。過去の個々の事象は思い出せる。(ベトナムへの修学旅行、部活動)。しかし、その出来事が今の自分にどのような影響を与えているのか、なぜ自分はこの道を選んできたのか。そこがうまく表現できなかった。
なぜ、自分は過去と今をつなげることができていないのか。
そこには「人生の軸」が足りていないと考える。
まず、これまでの過去の自分の「好き」、「やりたい」は、「・・・・・だからやりたい」ではなく、「なんとなく楽しそう」、「こっちの方がなんとなく、面白い自分になれる」という感情的なもので、論理的には説明できないものであるからだ。
「人間は、これまで育った環境、してきた経験、関わった人によりその人格・考え方が形成されていく。」
これは普通に考えたらわかることではあるが、やはり自分は後付けの性質を持っていると感じる。直感を信じ易く、それを後からこじつけの論理で補強し、自分の行動に一貫性があるかのように振る舞う。まるで、自分はあたかも人生の軸があるかのように。しかし、そんなものは虚構だ。人によく見せるためにあるようなものに過ぎない。
これは、他の人にも当てはまるのだろうか。
いわゆる、全人類を「直感型」と「論理型」という2つのカテゴリーに分類したときにやはり直感型、すなわち本能の赴くまま的な人が世の中にはとても多いのだろう。私は、あくまでも「論理型」すなわち軸のある人間になりたかった。