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自分にとっての故郷とは
長崎を離れて
故郷長崎を離れ、仙台に来て早一年がたった。
大学生の一年とは早いものだ。LINEやらInstagramやらで長崎の家族や友人とは密に連絡を取ることができる。また連休中には帰省しているし、そこまで寂しいと思ったことはない。遠く離れている友達とこの前もリモート飲み会をしたところだ。
しかし、故郷を離れた悲しさとは突然襲ってくることがある。そして、無性に変えるたくなる時もある。部活後の変える道や飲み明かした夜など、故郷を感じたいと思うことがよくある。
魯迅の『故郷』では、20年ぶりに故郷に帰った主人公が、頭の中で理想化された自分の故郷に対する実際の故郷の凋落ぶりに驚き、主人公が故郷と決別し、自分だけの道を歩んでいくしかないと決めるシーンがある。
思い出と現実の解離
もはや長崎という街は、自分の知っている長崎ではない。
長崎駅の駅舎の位置が大きく変わり、長崎本線の列車から降りたあと改札まで10分も歩かないといけないなんて知らないし、中学校のエナメルバックが廃止になりリュックでの通学が認められるなんて持ってのほかだ。帰省したときに、自宅の自分の部屋がなくなって母親の書道部屋になっていた時なんて驚きすぎて過呼吸になりかけた。
そんな変化が故郷から離れることによって、より鮮明に見えてくる。悲しいくらいに。私も故郷と決別しかけているのかもしれない。
長崎から離れて住んでいて楽しいことは山ほどある。
高校ではあんなに辛かった水球部も、今はびっくりするくらい楽しい。高校よりも自由で、とにかく自由で。練習も顧問ではなく自分たちで全部メニューを組む。部活内のルールを作ったり、施設利用の交渉をしたり、冊子を作ったり、新入生をリクルートしたり。遠征では運転を回しながら、7時間ぶっ通しで運転したり。
部活の他にも、インターンしたり、バイトしたり。旅行したり。友達と飲み明かして、自分の住んでいる寮まで2時間かけて歩いて帰ったことなんて今しかできないだろうと思う。この経験は長崎でなくてもできる。長崎でないからできることかもしれない。
大学卒業して就職するなら東京へ行くだろう。なぜなら人口が多いし魅力的な企業もたくさんあるから。そこで働いて結婚して子供を作り、東京に住み続けるんだろうと思う。そして老後、、。
長崎が抱える根本的な問題
この大学〜社会人〜老後の人生のシナリオに多くの人が当てはまるのではないか、と思う。しかし、ここには故郷長崎は一度も登場しない。まるで長崎がただの若者の人材育成機関であるように。
そう、これが故郷長崎が直面する問題を端的に表している。若者の地方への流出である。はっきりいおう。
若者が住む働く子供を産むインセンティブが長崎にほとんどないのである。
ではどうすればいいのだろうか。それを長崎県庁の方々も悩んでいるし、国も悩んでいる。
長崎をでて改めて気づいたこと
「君、出身どこ?」
「・・長崎です。」
「え、宮崎?」
「いや、宮崎じゃなくて長崎です・・・。」
「おお、長崎なんだ!ハウステンボス?だよね、行きたい!」
こんな会話を何百回としてきた。内心結構疎ましい。ただ、その中で気づくことがある。長崎というと必ずと言っていうほどそこから話が盛り上がる。社交辞令かもしれないが、「長崎行ってみたいんだよね」ともよく言われる。ここ最近、自称長崎観光大使として、長崎旅行プランを立てることも何回もあった。
ここで言いたいことは、長崎の地域的な魅力というのは、他の県、他の地域に比べて比較的高いのではないか。若者の県外流出もその「長崎愛」というもので解決できるのではないか。
確かにそれだけでは解決できないことばかりである。しかし、長崎出身の若者である自分にとって、この「人口流出」という問題は取り組む問題なのではないか、と強く思うのである。
長崎を強く思う仲間がいる。以下の記事も読んで欲しい。