資料作成は仕事の本質ではない。(無駄無駄無駄ァア!?)
今回は社会人になった方向けに、記事を書いていこうと思います。
社会人になって、特にデスクワークの方などが共通して感じることを言っておきたい、と思います。
「社会人って資料作成ばかりしていない? これって無駄じゃない?」
私は今社会人になって数年がたち、ある程度仕事にもなれましたが、今でも「私はマイクロソフトのソフトを使うために社会人をやっているんだっけ?」と毎日思っています。
おそらく、同じような悩みを抱えている方は多いんじゃないでしょうか?
・もはや慣例になっている判子リレー
・細かいところまで資料のチェックをしてくる上司
・資料作成ばかりしていたら「いつまでやっているの?」とか逆に聞いてくる周りの人々
・資料のために作られる資料
等……
→結果、終わらない資料作成業務の日々
もしも同じような悩みを抱えている人がいたら、こう言いたいです。
「間違いなく資料作成は仕事の本質ではありません」
なぜ、資料作成は仕事の本質ではないのか?
では、どうして資料作成は仕事の本質ではないのか、理由は単純で
「資料作成は、仕事のための仕事に過ぎないから」
です。
例えば、電車で通勤している人に「あなたの仕事の本質は電車による移動ですか?」と聞きくとしましょう。
「はい!」と答える人がいたら、その人はよほど素晴らしい通勤をすることに命を書けているのでしょう。微笑ましいですね。
実際はほとんどの人は「通勤は手段に過ぎないよ」と答えると思います。
資料作成も「通勤」とあまり差はありません。結局の所「資料作成」は他者に自分の意志を伝達するための「手段に過ぎない」からです。
自分の意志を伝達するためには資料作成は不要です。口頭で説明をすればよいのです。文章だけで伝わらなければ図を使えばよいのです。
それなのに「きれいに資料を作れ」「図は使うな!」と不思議な信念をお持ちの方がいたりします。さらには、どうでもいい細かいことを言い出す人もいます。
「これじゃ見にくいなあ」
「フォントを揃えてる?」
「ちょっとずれてない?」
こういうことを言う人は、仕事に趣味を持ち込んでいるとさえ言えるでしょう。
でも、成果として残るのは資料である問題
「でも、結局成果を報告したりするときには資料を作成しなければならない。結局、出来上がった資料しか見られないんだから、資料作成が、仕事の本質なんじゃないの?」
と、感じる方もいるかもしれません。
確かに上司だったり取引先が見るものは、資料だけかもしれません。資料の出来によってもしかしたらあなたの評価が変わってしまうかもしれません。銀行にお金を借りるためには良い資料を作らなければ話にならないでしょう。
ですが、私の意見は変わりません。結局の所、資料が成果として認められるような会社であったり、組織であったり、グループの場合、「評価基準がおかしい」と考えるべきです。
例えばあなたが飲食店を運営していたとして、きれいな公式サイトを作ったところで、意味はありません。飲食店のオーナーに求められているのは端的に言えば美味しい料理を作ることだからです。
何度も言いますが、資料作成自体はあくまでツールに過ぎないのです。
では、仕事の本質とは何か?
では逆に仕事の本質とは一体何か? を考えて見ます。
私は、仕事の本質とは実にシンプルなものだと考えています。簡単に言えば「新しい発想」です。
もちろん、語弊もあるかもしれませんが新しい発想が不要な職業もあるかもしれません。それらは仕事とは言えないのか? という話になります。
例えばレジ打ちの人や、運転手や、事務作業をしている人は新しい発想が不要な職業だと言えると思います。
これらの人が行っている業務は将来的には機械が自動でやってくれるようになると言われる職業です。私が「新しい発想」こそが仕事だと考える理由は、まさにその点にあります。人間にだけできる、人間が人間故に可能とする仕事――機械に代替できない仕事――その本質は「新しい発想」という点をおいて他にはない、と考えるからです(この点は、議論が生じる点だとは思います。私も答えを探しているところです)
まとめ
繰り返しになりますが「資料作成は仕事の本質ではない」です。
「じゃあ、私は本質ではない仕事ばかりやっているのか…」と気落ちしてしまう人もいるかも知れません。
それは一方で正しく、また別の側面から見れば間違っています。
「端的に言って、そんな仕事ばかり振ってくる上司が悪いのです」
仕事とは、極論を言えば上司に言われたことをやることです。いくらあなたが資料作成に価値がないと思ったところで、上司が資料作成によって生じる価値を信じていれば、部下は資料作成をするしかありません。
「こんな無駄な仕事ばかり振ってくる上司…笑えるなあ」ぐらいの温かい気持ちで、のんびりとやっていく、それが耐えられなかったら転職を考える、そうやって一日一日を過ごす――メンタルを壊さないようにやっていきましょう。
補足:仕事をやめるという選択肢
私自身は資料作成の日々の中、仕事を続けていますが、常々「仕事をやめて田舎でのんびりと過ごしたい」と考えています。そう考えるようになったのは、以下のような「小屋ぐらし」「田舎暮らし」の本をよく読んでいたからです。
以下の二冊の著者はそれぞれ生活費月2万円、1円8000円で生活をしていたそうです。「それぐらいなら1ヶ月の給料で1年遊んで暮らせる」とお思いの方もいるでしょう。そのとおりです。
実際、著者は「気ままに、働きたいときに働く」という生活を送っているようです。
「資料作成ばかりで疲れた」とお思いの方は、「仕事をやめても楽しく遊べる」という選択肢もあることを、念頭に入れるともしかしたら「もう少し頑張るか」と思えるかもしれません。