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僕が宇宙を仕事にする理由

「自分にとって大切なこと」とは何だろうか。

僕にとっては「なぜ宇宙をやるのか?」その理由が答えだろう。

3日前、僕が初めて開発に携わった探査機「パーサヴィアランス」が火星へと降り立った。

開発は決してスムーズではなく、苦労も多かった。スケジュールに間に合うか何度もヒヤヒヤさせられた。だけど、つらいときもこの瞬間をイメージできたから頑張ってこれた。

僕が宇宙開発に携わる上で、原動力となっているのは「人類が外の世界を知ろうとあがく力の一部になりたい。それに一度きりの人生をかけてみたい。」という思いだ。

この広い宇宙では地球に生きる人類の存在は限りなく小さく、人間の一生をかけたとしても、できることなどたかが知れているかもしれない。それでも僕は自分が出来る最大限のことをしたい。それが僕を突き動かす理由であり、僕の宇宙にかける思いだ。

NASAで働くという夢への道を歩む過程でも、その思いが大きな助けとなった。自分が進むべき道に明確な方向性を見いだせたことで、持っているすべてのエネルギーをそこに向けることができた。リスクをとって恐れずに挑戦することができた。またそれに向かって歩みを進めている自分自身のことを信じることができた。

自分の中にそういった核となる思いを作りあげ、ここまで導いてくれたのは、これまでの人生で経験したいくつかの出来事だったように思う。このnoteでは僕の中にある記憶をたどり、宇宙を目指すきっかけとなったそれらの出来事を紐解いてみたい。

将来の夢はプロバスケ選手

はじまりは小学生だった頃までさかのぼる。

宇宙少年ではなかった。NASAでエンジニアをしていると「小さい頃から宇宙が好きだったのか?」と聞かれることがある。実はそんなことは全くなく、子供の頃の僕はスポーツ大好き少年で、毎日のようにバスケットボールを練習し、冬にはクロスカントリースキーに夢中で取り組んでいた。

とにかく負けず嫌いな性格で、常に「どうやったら勝てるか、どうしたらよりいいタイムが出せるか」と考えていた。目標をもち、それに向かって努力する習慣はこの頃に身に付いたのかもしれない。

練習がつらいと感じることもあったが、試合で活躍したり大会で優勝したりできると、それまでの努力が報われたという喜びで、また頑張ろうという気持ちになれた。

そんな小学校生活の最後の日、卒業式の日のことだった。ホームルームの時間、サプライズで両親からの手紙が手渡された。僕もみんなと同じように手紙を受け取った。

この時の手紙が僕の人生に大きな影響を与えることになる。手紙にはこう書かれていた。

「目標に向かって努力する君の姿をそばで見ていることができてとても嬉しかった。これからの人生でも嬉しいこと、悲しいこと、つらいこともたくさんあると思うけど、一度きりの人生を悔いのないようにお互い精一杯楽しもう。

その手紙を読んだ僕はあろうことか、その場で号泣してしまった。たかだか小学校の卒業式でだ。卒業生はみんな同じ中学校へと進学する。友人と会えなくなることもない。それなのに人目を憚らず泣く僕の姿を、同じクラスの友人や先生は驚いて見ていたことだろう。

自分でもびっくりするぐらい泣いていた。泣くのを止められなかった。今振り返ると小学生ながらに、時には自分を追い込み、目標に向かって頑張っていた当時の僕には響くものがあったのだろう。手紙を書いた当の両親も泣きすぎる息子を目の前に戸惑っていた。

それまでは自分の人生について深く考えることはなかった。「僕は一度きりの人生で何がしたいのだろうか?」ベッドに寝転んで天井を見上げて考えた。

一度きりの人生なら、自分のやりたいことをしたい。他の誰のものとも違う特別なものにしたい。それならば大好きなバスケを続けたい。プロのプレーヤーを目指そう。それは、小学生なりに一生懸命に考えた答えだった。

自分が本当にやりたいことは

中学ではバスケにのめり込んだ。プロになるまでの道筋を考え、そのマイルストンとして設定した目標をクリアしようと日々頑張った。具体的には中学校のうちに県大会で優勝して全国大会で戦う、県の選抜チームに入る、高校は強豪校に進み全国大会で優勝する、大学もバスケで進学し、卒業後はプロチームに加入することを目指した。

中学のチームではキャプテンを務め、仲間に恵まれたこともあり、県でも屈指の強いチームに成長していた。個人としても県の選抜チームの選考会に招集され、全県から集まったプレーヤーたちとライバル心を剥き出しにしてしのぎを削った。

ある日の練習試合の帰り道だったと思う。いつも帰りの車内では、運転する父と試合の内容や、次の試合での目標などを二人で話していたのだが、その日は将来の話題になった。バスケでいずれプロになりたいという僕に、父は言った。

「お前は大会で優勝するとか、選抜チームに入るとか、プロになるとか、目標は大きくていい。だけど、目的が伴っていないように見える。どうしてそれをやりたいのか、なんのためにその目標を達成したいのかが見えてこない。それは人生でも同じ。自分の人生の目的は何なのかよく考えた方がいい。

今思い出しても中学生にかけるには少々厳しい言葉だと思う。その時は自分の夢を否定された気がして「そんなの関係ない。結果を出した奴が偉いんだ。」などと反発したが、たしかに自分は何のためにバスケットボールプレーヤーになりたいのか、はっきりと言い返すことができない。そんな自分にイラついた。

結局、最後の大会で負けてしまい全国大会には出場できず部活を引退した。その後は気が抜けて、何事につけてもやる気が出なかった。プロを目指したい気持ちに嘘はなかったし、そのために人一倍努力もした。すぐにも次の目標を立てて歩き始めなければならなかったが、それはできなかった。

「自分の人生の目的は何なのかよく考えた方がいい。」父の言葉が僕の頭の中をぐるぐると巡っていた。本当にやりたいことは何なのか見つからないまま、僕は地元の高校に進学した。

止まっていた時計の針がもう一度動き出した瞬間

夢にやぶれ、腑抜け野郎になった僕は、未来への希望を見つけられないまま、なんとなく高校生活を送っていた。

何かこれだと思うものを見つけ、一度きりの人生を特別なものにしたい、後悔なく生きたい、という思いは心の底にはあったが、やりたいことなどそう簡単には見つからなかった。

大学には行こうと思っていたので最低限の勉強はしていた。できるだけ偏差値の高い大学がいいけど、浪人はしたくないから自分の学力で行ける無理のない範囲で。卒業したらそれなりの会社で働けばいいか、くらいにしか考えていなかった。

それが現実というもので、大人になるということで、真面目に生きるということだと勘違いしていたのかもしれない。

そんなある日、「自分の進路を調べよう」というテーマで課題が出た。気は進まなかったが、レポートを提出しなければいけないので、仕方なく大学のパンフレットに手を伸ばす。

理系だし、物を作るのは昔から好きだから工学部でいいかなという軽い気持ちで、パラパラと冊子をめくっていた時、それは僕の目に突然飛び込んできた。

人工衛星だった。その隣には、メカメカしい車のようなロボットが岩だらけのフィールドに立っている写真が。ローバーと書いてある。月や惑星に行って動くらしい。東北大学の航空宇宙工学専攻の紹介だった。

この大学はJAXAと連携して研究をしているそうだ。JAXA?聞いたこともなかったが、少し調べると日本のNASAのようなものだと分かった。

「日本でもアメリカでNASAがやってるようなことができるんだ。なんかかっこいいな。いいじゃん、宇宙工学!」

僕と宇宙工学の出会いであった。

その日の放課後、本屋まで自転車を走らせた。たまたま、宇宙探査機の特集をしている科学雑誌を見つけた。家に帰って表紙をめくると、中には月や小惑星に向かう探査機の記事が。ワクワクが止まらずベッドに入った後も夜遅くまで読みふけった。

自分が作った探査機が遠くの世界まで飛んでいって、今まで人々が見たことがない風景を見せてくれる。つまり、それは人類の物理的・知的な境界を広げている。その探査機を作る仕事。こんなにやりがいのある仕事、他にあるだろうか。

自分の中で止まっていた時計の針がもう一度動き出した瞬間だった。

人類が外の世界を知るための力になりたい

それまで宇宙に関してほとんど何も知らなかったので、大学に入ってから読んだ宇宙の本から突きつけられる事実は驚きの連続だった。

僕たちが暮らす地球があるのは太陽系だ。その太陽系が存在する天の川銀河には、太陽系と同じような恒星系が2000億個あり、さらに宇宙にはその銀河が見えているだけでも1000億個ある。

この無限に広い宇宙に浮かぶ人類のちっぽけさを思った。無力感や寂しさが入り混じった、不思議な気持ちになったのを覚えている。地球上にはこんなにたくさんの人間が暮らしているのに、宇宙にとっては人間一人一人の存在なんてアリ以下かミジンコ以下か。事実、いま僕が地球上からいなくなっても、この宇宙には微塵も影響を及ぼさない。

人類がいかに宇宙のことを理解できていないか、理解できている範囲が限定されているかにも驚かされた。この狭い太陽系に限っても、地球以外に生命が存在する星があるのかどうかさえ分かっていないのだ。

次に来たのは悔しさだった。自分にとってはたった一回の人生なのに、宇宙にとっては、僕はいてもいなくても変わらない存在だ。そんなの悔しすぎる。

それなら僕は人類が外の世界を知るための力になってやろうと思った。僕の宇宙への挑戦が始まった。

礎にまた一つ石を重ねる存在でありたい

人の命は有限で一度きりだ。だからこそ、自分が人生において大切だと思うことにエネルギーを注ぎたい。それに気づくきっかけをくれたのは両親がくれた言葉だった。

地球に生きる人類は、この無限に広い宇宙においてちっぽけな存在かもしれない。自分が生きている間にできることなんて、長い宇宙の歴史において大したことがないのかもしれない。それでも僕はこの一回きりの人生を悔いなく生きていきたい。人類が外の世界を知ろうと、自分たち自身を知ろうとあがく力の一部になりたい。

今を生きる僕らはこれまでたくさんの先人が積み上げてきた歴史の礎に立っている。僕自身も人類が少しずつ積み上げてきた礎にまた一つ石を重ねる存在でありたい。

だから僕は宇宙をやる。

その後、僕は2012年に火星へと着陸した一機の白いローバーに衝撃を受け、NASAジェット推進研究所を目指すことになる。簡単な道では無かったし、たくさんの人に助けられ、多くの運に恵まれ、なんとか辿り着くことができた。しかし、一番大事だったのは、僕自身が自分にとって大切なことが何かを分かっていて、決して諦めなかったことだろう。

その信念は今でも僕を宇宙へと駆り立てる。毎日が挑戦の日々だ。うまくいかないこともあるし、まだまだ成長すべき面も多い。それでも、少しでも人類が前に進む力になりたいと思い、日々の仕事に取り組んでいる。

3日前の2月18日には僕が初めて開発に携わった探査機「パーサヴィアランス」が火星へと降り立った。大気圏突入の直前くらいから、自分に出来ることはもう何も無いのに、やはりとても緊張した。

キュリオシティの火星着陸を見たあの日から、最初の6年間は憧れ、そして夢として、NASA/JPLに就職し火星ローバーの開発に携わるようになってからの3年間は、すぐ近くの未来にある現実として、ずっと思い描いてきた瞬間だ。

着陸成功の瞬間は心から安堵したというのが正直な感想だ。その後、着陸成功への興奮と、これから見せてくれる景色への期待と、自分が作ったものが火星でちゃんと動くだろうかという心配が複雑に絡み合った、今まで味わったことのない感情が波のように押し寄せてきた。

ローバーから送られてきた写真を見ても、自分たちが作ったものが火星にあるなんて、まだ信じられないが、少しずつ実感も湧いてきている。火星着陸はミッションのスタートに過ぎない。これからパーサヴィアランスが僕たちがまだ見たことがない景色を届けたり、新たな発見をもたらし、人々を熱狂させ、人類の物理的・知的な境界線を広げてくれると信じている。

夢はまだ始まったばかりだ。


このnoteは、Panasonicと開催する「 #自分にとって大切なこと 」投稿コンテストの参考作品として、書かせていただきました。


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