団塊ジュニア世代が見てきた東京メンズファッション30年史12
2014
ワイドパンツ人気が広まり始める
ネオ・アメトラから引き続くスタイルを継続しながら、ワイドパンツが注目されるように。腰から腿にかけてゆとりを持たせて、膝から裾にかけて少しテーパードさせたタック入りパンツが普及していく。雑誌のウオモでは、パリでのコレクションも高く評価された「カラー」を筆頭に、新興ブランドの「コモリ」と「オーラリー」を取り上げ、その他にも「エンジニアドガーメンツ」のベイカーパンツ、「コム デ ギャルソン オム」のウールパンツなどを紹介。またポパイではパンツにとどまらず、全身オーバーサイジングなスケボー少年のスタイルが提案され、ノームコアをさらにストリートに寄せた独特な着こなしを提案。この時点ではまだスキニージーンズや細身スラックスの人気は健在で、実際に一般層へ広まるのはこの1〜2年後だが、一部の業界人やファッション層からはワイドパンツが熱烈に支持された。この変化が後にやってくるストリートスタイルへとつながり、トップスもゆったりとした全身オーバーサイズシルエットへと変化していくきっかけとなった。
また、ノームコアからベーシック回帰への流れができる中で、基本的にはシンプルだが単なるベーシックでもないデザイナーズブランドが浮上する。スウェーデンの「アクネ・ストゥディオズ」、フランスの「アミ・アレクサンドル・マテュッシ」と「メゾン・キツネ」アメリカの「ラグ&ボーン」がその代表的ブランド。ラグジュアリーブランドと比較すれば現実的なプライス設定、着回しやすさが一部のファッション層に共感を生んだ。これらのコンテンポラリーとも括られるブランドは、その後も大きな話題となることは少ないが、一定のファンを維持し続けている。
サードウェイブ系男子が増殖する
90年代移行、世界へ広まったスターバックスなどのシアトル系コーヒー店を“セカンドウェーブ”とし、ブルーボトルコーヒー(オークランド発)やスタンプタウンコーヒー(シカゴ発)などの地元密着型のコーヒー店が“サードウェーブ”として日本で注目されたのもこの時期。これまでの深煎りが特徴のコーヒーから、豆そのものの旨味を引き立てる浅煎りのドリップコーヒーに開眼する人々が急増。打ちっぱなしの壁とウッド系の什器を組み合わせた店舗スタイルと相まって、ファッション誌のロケ地として定番化。ワイドパンツを穿いてピストバイク(ブレーキなしの競技用自転車)に跨るシティボーイ&ノームコアおじさんたちの聖地に。五本木のストリーマーコーヒー(後にチェーン化)、代々木公園のリトルナップコーヒーやフグレン(ノルウェー発)、幡ヶ谷のパドラーズコーヒー(前述のスタンプタウンコーヒーの豆を使用)、清澄白河のオールプレス・エスプレッソ、イキ・エスプレッソ(ともにニュージーランド発)など、味もルーツも店構えも異なる地元密着型コーヒー店が増えていった。ちなみにファーストウェーブとは、19世紀末から1970年代まで一般大衆に広まったコーヒー文化の総称なのだそう。時期と業態が定義づけられるセカンドウェーブと比べるとあまりに大雑把な括りなのが不思議だが、ここではあまり深煎り(入り)しないことにする。
健康的なライフスタイルへの共感
こうした地域密着型のコーヒーショップの人気は、後のクラフトビール人気やグルメバーガー人気と影響し合いながら、ファッションと食を含めたライフスタイルが重要視されることになる。2009年に千駄ヶ谷でスタートしたサザビーリーグ系のセレクトショップ、「ロン・ハーマン」はその最も分かりやすい例で、西海岸のサーフカルチャーをベースにしたウッド調の店内に食事も提供するカフェを併設することで、健康的で開放的なライフスタイルを提案。サーフボードにとどまらず、ピストバイクやスケートボードといったスポーツアイテム&ギアも加えられ、ファミリー層を含めてジワジワと支持者を広げていく。また、インドアな男の趣味として、日本では珍しい多肉植物を育てるファッション業界人が誌面に登場するようになりはじめたのもこの頃。
こうしたアクティブな趣味をもった大人の受け皿となっていた雑誌が『オーシャンズ』(2006年:ライトハウスメディア)だ。創刊時は元レオンの編集者とスタッフが制作に当たっていたため、しばらくはその内容も似通っていたが、2010年代に入ってから独自路線を強めていった。起用するモデルはマーシーこと三浦理志と俳優としても活躍する平山祐介の2枚看板で、サーフィン、スノーボード、アウトドア好きな40代をターゲットに、親しみやすく気負いのない大人カジュアルを提案。以前から人気の高かったスナップ企画、“街角パパラッチ”を継続しながら、他誌との差別化を成功させた。また、1978年に創刊した雑誌ファインの大人版として、2003年に創刊した『サファリ』(日の出出版)も堅調で、こちらもサーフィンというファインから受け継いだ得意分野を継承しながら、ブランド選びからアイテムの組み合わせまで徹底的にセレブを真似る手法を確立し、意外なほど広い読者層を獲得。レオン、ウオモ、オーシャンズ、メンズクラブといった大人向けファッション誌の中で、頭ひとつ抜けた部数を維持していた。
ジェンダレスで自然体なお洒落着
ノームコアの流れや健康志向の高まりもあり、ベーシックな普段着でありながらも、上質な素材と今を感じさせるシルエットの服が求められるようになっていた。一括りに紹介するのは少々荒っぽいかもしれないが、そうしたニーズに応えたのが「ヤエカ」(2002年)と「ディガウェル」(06年)だった。ともに共通するのは、自然体でジェンダレスなデザイン。食生活やワークライフバランスを気遣う、意識高い系の男女から支持されるように。また、染色を施していないヌメ革を積層させて、ナイキやアディダスの名作スニーカーを再構築したオマージュラインを発表した「エンダースキーマ」(10年)もこうした男女から注目された。いずれのブランドも共通するのは、高感度なインテリアショップなどでも取り扱われていたことで、ライフスタイルありきの服選びを意味していた。目まぐるしく変化するトレンドやカルチャーには距離を置きつつも、単なるベーシックでもない服や小物を求めていた大人には、こうしたブランドの存在が大きな役割を果たしている。
一方、ヨーロッパでいち早くジェンダレスなコレクションを確立したのが、JWアンダーソンによる新生「ロエベ」だった。2013年からクリエイティブディレクターに就任していたが、この年のロンドンコレクションで正式なデビューを果たす。この時点ではまだその才能の片鱗を窺わせる程度だったが、2015年以降はWWDなどの業界向けメディアをはじめ、ウオモやポパイなどの高感度なファッション誌で取り上げられるように。ジョナサン本人が元々俳優志望のイケメンで世界各国の工芸品について詳しいことなど、服そのものというよりも今までにないタイプのパーソナリティの持ち主であることが人気の理由だった。やはり彼もゲイであり、我々のようなストレートとは異なる視点を持ち得ていることもクリエイションに影響を与えている。以後もロエベと並行して自身のシグネチャーブランドも手がけ、コンバースやユニクロとのコラボを次々と成功させていく。
ファレルの大ヒットで山高帽が流行
ファレル・ウィリアムスが前年11月にリリースした楽曲『ハッピー』が2014年に大ヒット。軽快なリズムに親しみやすいメロディを乗せた本曲は、子供から大人まで虜にした。さらに、世界中のファンがファレルを真似て踊る動画がYoutubeにアップされ、SNS上でさらに拡散され多くの人に共有された。これは今でいう“○○やってみた”動画の走りであり、SNSを利用したプロモーションの成功例としても記憶されるべき事例だ。ルイ・ヴィトンの広告に採用されるなど、すでにファッションアイコンとしても広く認知されていたファレルは同曲のオフィシャルヴィデオでフェルトハットを被り、同時期にフェルトの山高帽を頻繁に着用していたことが注目された。その影響で、多くのファッション誌で山高帽を取り入れたスタイリングが取り上げられた。特にツバが広い山高帽が人気で、かなりクセの強いアイテムながら一部のファッショニスタにはマストハブとなった。ちなみに私自身もビズビムの山高帽を購入して、秋冬のトラッドな着こなしの仕上げとして愛用していた。この世界的ヒットによって、ファレルは最も影響力のあるファッションインフルエンサーとなった。
2015
ミケーレによる新生グッチが誕生
トム・フォード退任後、グッチのクリエイティブディレクターを務めていたフリーダ・ジャンニーニが任期満了に伴い退任。フリーダの過剰なまでのタイトシルエットとフラワープリントを多用した手法が飽きられていたところで後釜に据えられたのは、グッチのデザインチームに在籍していたアレッサンドロ・ミケーレだった。すでに名の通っている実力派や勢いのある独立系ブランドからの引き抜きなど、外部からクリエイティブディレクターを招き入れることが定例化していたので、この抜擢は全く予想外だった。そのデビューコレクションは、ほぼフリーダが完成させていたものを全て見直し、たった1週間で作り直したという。歩くたびにふわりと揺れるフレアパンツ、胸元にボリュームを加えるリボンタイなど、ウィメンズの要素を盛り込んだジェンダレスなコレクションを披露。まだこの時点ではミケーレらしさは希薄で、ジャーナリストたちの反応はまずまずという印象だったが、翌年にグッチは大変貌を遂げる。
カニエが生んだスター、ヴァージル
カニエ・ウェストのスタイリストを長年務めていたヴァージル・アブローが、自らのブランド「オフホワイト」を立ち上げ、パリファッションウィークに参加。ナイキとのコラボレーションで、世界中のスニーカーフリークを熱狂させてきたヴァージルだったが、いよいよ念願のランウェイということで大きな注目が集まった。ストリートスタイルの印象ばかりが先行していたため不安が入り混じっていたが、実際にランウェイで披露された服は、テーラードを含めたリアルクローズで、ポジティブな世界観の打ち出しを含め業界内では概ね高評価を得た。個人的にはあまり面白味が感じられないコレクションだったけれど、カニエ以降のアフロ・アメリカンのデザイナー(オズワルド・ボーテング、ジョー・ケイスリー・ヘイフォードという英国黒人デザイナーは存在していたが)のパリ進出という点では画期的だったし、彼らがスニーカーとフーディ以外でも、コンセプチュアルな服をデザインすることができることを証明したことは理解できた。
オフホワイトを運営していたのは、大手ファッションECサイトのファーフェッチを親会社とするニューガーズグループで、オフホワイト以外にも「マルセロ・ブロン・カウンティ・オブ・ミラン」「パーム・エンジェルス」「ヘロン・プレストン」といったブランドを展開しており、ラグジュアリーストリートというカテゴリーを決定付けた。それぞれ得意とするデザインはやや異なるものの、カニエ以降のヒップホップカルチャー育ちであることは共通していて、彼らがリスペクトするのはヴァージルだった。日本でも一部のセレクトショップでニューガーズグループのブランドが取り扱われたが、ファッション関係者の間ですら、オフホワイト以外のブランドはあまり話題に上ることはなかった。
新しい才能が開花する一方、表舞台から去るデザイナーもいた。「ダナ・キャラン」「ヴィクター&ロルフ」といったベテランが相次いで自身のブランドを閉鎖。そもそもまだブランドが存続していたのか、というくらいの認識しかなかったし、浮き沈みの激しいファッション業界では致し方のないことだ。また、ニコラ・ゲスキエールの後任であったアレキサンダー・ワンがバレンシアガを退任し、2001年からランバンを率いてトップメゾンに再興させたアルベール・エスバスもランバンから離脱。アレキサンダー・ワンに関しては特に驚きもなかったが、実力が高く評価されていたのに経営会社の失策で追い出されるようにランバンを去ったアルベールには同情票が多く集まった。
英国の新鋭シンガーの活躍とLGBTQ
ヨーロッパの白人主導のハイファッション界で、アメリカ生まれアメリカ育ちの黒人デザイナーたちが評価を得るようになったこの時期。音楽シーンに目を向けると、ロンドン郊外から現れたローレンス兄弟によるエレクトロニカデュオ、ディスクロージャーのデビューアルバム『セトル』(2013年)でフィーチャリングされたシンガーのサム・スミスが大ブレイク。大物R&Bシンガー、メアリー・J.ブライジとの圧巻のパフォーマンス動画も拡散して、年代性別を超えてデビューアルバムの『イン・ザ・ロンリー・アワー』が世界中で大ヒットとなる。2015年にはグラミー賞最多4部門獲得という偉業を達成。ゲイであることを早くから公言していた彼には、ファッション界からのオファーが絶えず、同年バレンシアガのキャンペーンモデルを務めた。
この時期から一部のファッションメディアでは、LGBTQという言葉が盛んに使われるようになり、人種の多様性とジェンダーについても言及するジャーナリストやデザイナーが増えていった。元々男性デザイナーの中にはゲイやバイセクシュアルが多く、業界的にも受け入れやすい土壌があったので、この言葉がすんなりと受け入れられた。後にテレビの討論番組でも頻繁にLGBTQについて言及することが多くなるが、性の多様性についてポジティブであることが知的で進歩的であるというリベラル層と、そもそもこうした問題に興味がなく、無邪気に嫌悪感を示すような保守層との亀裂はさらに深まっている。ファッションやエンタテインメントという限られた枠の中では重要性が高いトピックではあるのだろうが、男女格差も改善されず、夫婦別姓すら認められていない日本でこの問題を声高に論じるのには個人的には違和感を覚えてしまう。
高まる健康志向にセレクトショップも反応
パリとミラノで地殻変動が見られたこの年、東京ではセレクトショップによる新業態のショップが相次いでオープン。ユナイテッドアローズが先行してオープンさせていた「アンルート」銀座店に次ぐ2号店として二子玉川店がオープン。ファッションとランニングを同じ感覚で楽しむことをコンセプトにランステーションを併設しているのが特徴で、ニュージーランドが発祥の「ホカ・オネオネ」やドイツ生まれで手の込んだ作りの「ルンゲ」などの新興ランニングシューズブランドをいち早く紹介しつつ、独自のストアオリジナルブランドを展開(現在は2店舗とも閉業し、オリジナルブランドのみ存続)。また、ビームスとの共同でブルックリンのセレクトショップ「ピルグリムサーフ+サプライ」が、渋谷の旧ビームスタイム跡地にオープン。店名通りサーフボードやウェットスーツも取り扱い、2012年に先駆けて代官山にオープンしていた「サタデーズサーフ」とともに都会派サーファーを喜ばせた。スポーティなライフスタイルに寄り添うショップは以後も一定のファンを獲得しながら継続する。
百貨店ブランドの凋落が明らかに
バーバリーとのライセンス契約が満了し、稼ぎ頭であったバーバリーブルーレーベル・ブラックレーベルを失った三陽商会が窮地に立たされる。その他にもサンエーインターナショナルのいくつかのブランドが終了するなど、百貨店をメインに展開していたブランドの撤退や規模縮小が相次いで報じられる。高級ブランドやセレクトショップで買い物をするファッション偏差値の高い人以外にとっては、もはやユニクロやZARAなどのファストファッションで十分だったし、そもそも百貨店で服を買う習慣がない若い層にとってアパレル大手が手がけてきた百貨店向けブランドはそもそも選択肢とはなり得ていなかった。こうして、三陽商会、サンエー、ワールド、レナウン、オンワードといった、バブル期に成長した国内大手アパレル企業の百貨店頼りのビジネスモデルが崩壊した。こうなることはすでに分かりきっていたはずなのに、大手ゆえのプライドなのか、定年間近の上層部だけが逃げきればいいと思っていたのか、遅々として改革はなされなかった。
続く