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団塊ジュニア世代が見てきた東京メンズファッション30年史14

2018

アスレジャースタイルの広まりと進化

ちょっとした外出にも使える部屋着を総じてワンマイルウェアと呼ぶが、その代表であるスウェットやジャージのセットアップで、原宿や表参道を闊歩する若者が目立つようになる。それまでスウェットやジャージのセットアップというと、休日のオジサン着というダサいイメージしかなかったが、ストリートスタイルの定番として若者たちの間で人気が再浮上した。特にナイキのフリースパーカとジョガーパンツの人気は圧倒的で、足元は当然ながら同ブランドのエア搭載のハイテクスニーカーという出立ちだ。こうしたスポーティなスタイルを海外セレブたちが実践していたこともあり、アスリートとレジャーを掛け合わせて“アスレジャー”と名付けられた。身体にぴったりと沿うシルエットは過去のオジサンっぽいイメージとは異なることもあって、じわじわと30〜40代の男性にも好意的に受け入れられ始めた。
 
元々カジュアル嗜好でサーフィン好きの読者が多いサファリやオーシャンズでは、アメリカ西海岸の「ジョン・エリオット」や「ジェームズ・パース」、カナダの「レイニング・チャンプ」といった、スポーティな要素を上質なベーシックに消化した通好みなブランドを取り上げた。また、ジャケットやスーツを得意とするレオンもラグジュアリースポーツ=ラグスポと称してこの流れに乗じた。誌面にはイタリアのカジュアルブランドでイギリスではフーリガンたちに愛されていた「ストーンアイランド」や、同じくイタリアブランドでスカルをアイコンとする「ハイドロゲン」が紹介され、チョイ不良オヤジとその予備軍を中心に支持されていった。実際、表参道ヒルズや六本木ヒルズで、こうしたブランドのロゴ入りのパーカやジャージを着た50代くらいの金回りの良さそうなギラギラした得体の知れないオジサンをよく目にした。アスレジャーの広まりは見た目だけに留まらず、実際にランニングやサイクリングを日常生活に取り入れる動きが広まり、健康志向の男性が増えてきたのもこのトレンドの特徴。数年前から一部のファンの間で盛り上がっていた、ソロキャンプやスノーサーフィンがメディアで少しずつ紹介されるように。
 
そうした中で、ポパイのリニューアルを成功させた木下編集長が退任し、ユニクロを手掛けるファーストリテイリングのクリエイティブディレクター兼執行役員に就任。億越えの年収が噂された大抜擢のニュースが業界内を騒然とさせた。この人事で新体制となったポパイだったが、木下編集長時代からの世界観を大きく変えることなく読者は安堵した。ポパイでもアスレジャー的な着こなしをフォローしていたが、他の大人向け雑誌とは打ち出し方が明確に異なり、極端なオーバーサイズと凝ったレイヤリングによる提案がなされていた。どんなブランドでもポパイ流に落とし込んでしまう独自の世界観は、他社の編集者にも大きな影響を与え、ウオモでもポパイのスタッフを登用するようになり、誌面は混迷していく。ちなみにアスレジャーとは少し違う視点でポパイとウオモが取り上げたのは、ネペンテスのオリジナルブランド「ニードルス」のサイドラインと蝶々の刺繍が施されたジャージのセットアップだ。テレビの歌番組でも人気バンド、キング・ヌーのメンバーや俳優の菅田将暉らが愛用したことも若者の間で注目を集めた。
 
スウェットやジャージのセットアップを基本とするアスレジャースタイルだが、そこへ高級ブランドを組み合わせた独自のストリートスタイルが、渋谷や中目黒の若者の間で広まった。シュプリームのキャップ、オフホワイトのスウェット、カニエとアディダスとのコラボによるYeezy(イージー)のスニーカーはマストハブアイテムで、さらにバレンシアガやヴァレンティノのバッグやスニーカーを加えたスタイルが、ファッション系メディアのスナップ記事で取り上げられ拡散していった。渋谷や中目黒のみならず、彼らを真似た若者を地方都市でも見かけるようになると、アスレジャーがヤンキー文化と融合してオラオラ系へと変化していった。よくよく考えると、先述した英国のチャヴと地方都市のオラオラ系は似ているのは興味深い。

HFのインスタ投稿が突き刺さる

世界に影響を与え続け、ストリートファッションのゴッドファーザーとも称される藤原ヒロシに、再び世の男性たちが反応するように。それまでも定期的にファッションメディアに登場していたし、往年のファンを中心にその動向に注目が集まっていたが、サカナクションの山口一郎との交友がInstagramで投稿されるようになると、多くの若者たちまでも彼に興味を持つようになっていった。自身が手がけるブランド「フラグメントデザイン」では、ナイキ、スターバックス、ベアブリックなどと定期的にコラボを行い、さらにはジョン・スメドレー、ドクターマーチン、ブルガリ、ロロ・ピアーナにいたるまで、異業種までを巻き込んで次々とコラボを仕掛けていった。特に、サカイ×ナイキ×フラグメントデザインのコラボスニーカーの人気は凄まじく、現在も二次流通では高値で取引されているほどだ。裏原の火付け役である藤原の時代を見抜くセンス、面白そうだと思うことには貪欲に取り組む行動力で、SNS時代に見事に対応してみせた。
 
2016年に藤原は青山のThe Pool、次いで銀座ソニービル地下のParkingなど、取り壊しが決まった昭和時代のビルを舞台に、期間限定ショップをオーガナイズしてファンを喜ばせた。彼の興味は食にまで及び、コンビニで買えるジャンクフードから、予約の取れない超人気店の高級食までInstagramに投稿している。80年代からずっとカルチャーとファッションに関わり、そこで慧眼を得た彼のコメントにはいつもハッとさせられる。例えばとあるファッションECサイトのインタビューでの「僕に言わせると、ポップカルチャーは90年代で死んだ」という発言だ。これは70年代のパンクがファッションを伴ったカウンターカルチャーとして成立していたのに対し、00年代以降のファッションは必ずしも音楽やカルチャーが合致していなくても成立してしまうことを見抜いていた。
 
ディオール・オムやナンバーナインにはロックスタイルが必要だったが、それは過去からの引用だった。エディは同時代のミュージシャンをたくさん起用してはいたけれど、彼らの奏でる音楽は90年代よりも前のポストパンクやニューウェーブに影響されたものだった。先の藤原の発言の通りである。さらにデムナやヴァージルが創り出す服には、ヒップホップやスケートボードという独自のカルチャーがあったとしても、彼らがデザインする服と直接的な関係はもはや見受けられない。音楽とファッションは確かに説得力のあるコンビネーションであるし、切っても切れない関係性があるが、社会を巻き込んだ大規模なムーブメントへと発展することは二度とないのだろう。
 
90年代初頭の裏原ブームの仕掛け人として注目されてから現在まで、ストリートファッションのゴッドファーザーとして、海外でもカリスマ的な人気を保ち続けた人物は藤原しか見当たらない。今や多くのブランドが彼のカリスマ性と時代を見抜く力に頼っている。ステューシーを日本に持ち込んだ音楽プロデューサーである藤原が、30年後に世界的な高級ブランドですら放っておけない存在になるとは誰しもが想像できなかったことだ。まさか、ブルガリやロロ・ピアーナといった高級ブランドと藤原がコラボをするなんて、誰も予想できなかったはずだ。
 
いつもスウェットパーカとジーンズとスニーカーという出立ちでメディアに登場する藤原は、白髪が増えたとはいえあの頃からずっと変わらない。00年代に大流行したディオール・オムにもなびくことはなく、自身のスタイルを堅持し続けてきた。ネットメディアの隆盛やNFTの時代がやってきても、彼独自のスタンスで発信を続けている。ずっと時代の先端を歩み続けてきたことは驚愕的だし、海外を見回しても彼のような人物は居ない。

変わらないこともひとつの武器になる

アスレジャーやストリートばかりが話題になった一方で、いまだにロックスタイルにこだわり続けたのがエディ・スリマンだった。前任者のフィービー・ファイロから「セリーヌ」の後継者となったエディのデビューコレクションは、やっぱりロック。ディオール・オムとサンローラン時代にすでに披露していた、黒をベースにした細身のシルエットが登場。フィービーがセリーヌにもたらしたフェミニンかつクリーンな世界観を見事にぶち壊した。もうエディはこのスタイルしか提案できないのかという諦めもあったが、逆に言えばこのスタイルはエディの独壇場で、彼の信奉者たちは世界中にいた。その後は、グラフィカルなアイテムも加えてクリエイションの幅を少しずつ増やしながら、セリーヌを新しいイメージへ導いていくことに成功しつつある。一方で、エディが去った後にクリエイティブディレクターを務めた、アンソニー・ヴァカレロによる「サンローラン バイ アンソニー ヴァカレロ」も好調だった。彼のデザインはほぼエディの完コピだったけれど、ラグジュアリーブランドにシャープなロックスタイルを求めるファンは一定数いたし、他のラグジュアリーブランドが総じてカジュアル化の一途を辿る中で、変わらないことがかえってブランドの強みになっていた。2〜3年でコロコロとディレクターが変わってしまうような高級ブランドよりも、ブランドとしての一貫性がある方が消費者にとっても安心できるし、本来のあるべき姿なのだと思う。

新世代デザイナーたちの躍進

代官山や中目黒でスタートした独立系ブランドの多くは、展示会を発表の場としており、ランウェイショーをやらない傾向があったが、彼らより若い世代のデザイナーはランウェイに積極的に打って出るブランドが目立ち始めた。ジェネラルリサーチでキャリアを積んだ山岸慎平による「ベッドフォード」(10年)、イッセイミヤケで企画やデザインを手掛けていた森川拓野による「ターク」(12年)、ヨウジヤマモトでパタンナーを務めていた藤田哲平による「サルバム」(14年)が、次第に存在感を高めていった。
 
そんな中でも頭一つ抜け出した印象を与えたのが、世界の新人デザイナーを発掘するLVMHプライズにて大賞を獲得した、井野将之氏による「ダブレット」(12年)だ。ミハラヤスヒロの元でキャリアを積んだ井野は、違和感のある日常着というコンセプトの下、独自のユーモア感覚を斬新なテクニックとギミックで表現。20AWシーズンではパリファッションウィークにも参加し、ファミレスを題材にしたコレクションを披露。ユーモアたっぷりのクリエイションが世界に発信された。以後もカップヌードルとのコラボや、観光地などにあるいわゆる顔ハメを取り入れるなど、毎シーズン驚きと笑いに満ちた数々のギミックを武器に進化を遂げていく。
 
また、ヒップホップとスケボーカルチャーを背景に、手の込んだクリエイションを続けていた志鎌英明氏による「チルドレン・オブ・ザ・ディスコーダンス」(11年)が、ランウェイ形式でコレクション発表をしたのもこの年。ヴィンテージバンダナをパッチワークしたデザインや、グラフィカルなテキスタイルの組み合わせは高い熱量を感じさせ、国内外で高い評価を得た。さらに同年には、パンクファッションを独自に再解釈したコレクションを展開した「キディル」(14年)も勢いを感じさせた。上記したデザイナーと比べると世代はやや上となる末安弘明は、自身が通過してきた音楽やサブカルチャーをデザインに反映させたコレクションを展開。ロンドンパンクの代表格ダムドをテーマにしたり、80年代に活躍したニューウェーブバンド、バウハウスのピーター・マーフィーを取り上げたり、往年のサブカル好きから元ネタを知らない若年層まで巻き込みながら、着実に支持者を広げていく。

2019

令和になってもやっぱりロゴが好き

平成31年から令和元年へ。若者たちは菅内閣官房長官を、親しみを込めて令和おじさんと呼んだ。森友・加計に続いて桜を見る会が問題視され、安倍政権への不信はさらに高まり、消費税は10%へと上がったが、参院選挙でも自公政権が勝利。もはやこの国は変わることを諦めたかのように思えた。そんな中で唯一明るいニュースが、ラグビーワールドカップにおける日本代表の快進撃だった。
 
一部のファッショニスタに留まっていたバレンシアガのスタイルが、ようやく一般層にも広がりだし、オーバーサイジングな着こなしが主流に。ここで重要となるのがやはりブランドロゴで、バレンシアガとグッチを筆頭に、ディオール、バーバリーなども追随。それまで露悪的とされ多くのブランドで封印されていたロゴが、遂にファッショントレンドの最前線に返り咲くことになった。これは90年代に花開いたデザイナーズたちのアプローチとは真逆であり、私には下品なだけとしか思えないのだが、当時を知らない若者や目立ちたいだけの金持ちにそんなことを言っても仕方がない。とにかく、彼らにとっては分かりやすさが重要なのであって、ファッションの文脈などはどうでもいいのだろう。
 
オフホワイトの成功で注目を集めていたヴァージル・アブローが、遂にルイ・ヴィトンのメンズウェアのクリエイティブディレクターに就任。こうしてヒップホップ界が長年夢見ていた、アフロ・アメリカンによるラグジュアリーブランドが実現したのだ。カニエ・ウェストが仕掛けた、ヒップホップからファッション界へのラブコールがついに叶ったのだ。これはデムナによるバレンシアガの成功とも関連しているようだが、少し違う側面もある。
 
ヒップホップ黎明期に活躍したRUN D.M.C.などの80年代のラッパーたちは、二束三文で流通していたカンゴールのキャップ、カザールのサングラス、アディダスのスーパースターとトラックスーツといったアイテムを自己流にリミックスしたスタイルだった。そしてシャネル、ディオール、グッチといったロゴをいたるところにスプレーし、保守的な白人上流階級の趣味を皮肉った。90年代にはギャングスタ的な側面が強まり、「ポロ・スポーツ」「トミージーンズ」「ノーティカ」という御三家ブランドのスウェットとバギージーンズが定番になる。彼らがダボダボのスタイルを好んだのは、支給された刑務服が大きかったことに由来し、悪さ自慢(ムショ帰り)の象徴でもあった。そして、一目で分かるロゴを好むのはギャングから成り上がったことを誇示するためだ。ここまではストリート出身の黒人というアイデンティティが強く反映されていたし、着こなしとラップの内容がリンクしていたが、00年代には大きな変化が生まれる。
 
全米チャートの常連となったジェイZが手がけるストリートウェアブランドの「ロッカウェア」が大ヒットしたことを契機に、自分たちの仲間内から生まれたストリートブランドの服に高級ブランドのスニーカー、ロレックスやオーデマ・ピゲといった高級時計を合わせるスタイルに進化を遂げたのだ。もちろん、ここにはNIGOとファレルによる「ビリオネア・ボーイズ・クラブ」も含まれているし、前述したファレル・ウィリアムスがトレンドセッターとしての役割を果たしていたことも影響している。そして2010年代以降は、カニエとヴァージルを中心とするハイファッションへの取り組みが遂に世界に認められた。それまで成功者の証としてゴールドチェーンや高級腕時計が必要だったが、遂にトータルで高級ファッションを発信する側に立ち、そのブランドロゴを世界へ誇示した。もう、彼らはストリート出身の貧しい黒人というテンプレートに縛り続けられることはなく、自由にファッションを表現する主体となり得たし、ことさらにヒップホップとファッションを結びつける必要もなくなった。

最新アートも含めたコラボの連発

2012年からルイ・ヴィトンのメンズを手掛けていたキム・ジョーンズが、「ディオール」のメンズのアーティスティックディレクターに就任。これを機にオムという呼称は廃止される。ダンヒルを手がけていた時代から藤原と長年の交友があったキムは、日本のストリートブランドやストリートカルチャーにも精通していた。シュプリームとのコラボで得た成功を元に、ディオールでもナイキやステューシーとのコラボを連発。さらに、目が×になったキャラクターで有名なKAWS(カウズ)、ソニック・ユースやフー・ファイターズといった人気バンドのアートワークで知られるレイモンド・ペティボン、新鋭の現代作家ダニエル・アーシャム、エアロスミスのアートワークやAIBOのデザインでも知られる空山基といったアーティストと手を組み、彼らの作品を服に落とし込む手法を確立。
 
こうしたアーティストとブランドの融合は、メディアでは好意的に取り上げられたが、実際に成功したかと問われればそれはかなり怪しいものだった。
カウズとのコラボは大きな話題になったものの、ペティボンや空山とのコラボはほとんど話題にならなかった。結局はコラボするアーティストの知名度が問題で、転売時に高値になるかどうかが買う側にとっては重要なのだ。デザイナーやディレクター自身はしっかりと文脈を作り、コラボの経緯や意義を語るものの、結局はカウズのように分かりやすいキャラクターを入れただけの安易なコラボアイテムばかりが売れるのが現実なのだ。改めて考えると、(反体制的・半権威的な)ロウブローアートの代表的作家が、ディオールと手を組むというのもなんだか皮肉というか、悪い冗談のようにも思ってしまう。
 
高級ブランドにとって手っ取り早く話題作りをできるのがコラボだということが明白となると、その最重要アイテムであるスニーカーに多くの男性が夢中になっていった。90年代半ばのエアマックスの爆発的ヒットを第一次ブームとし、00年代初頭のダンクのリバイバルヒットが第二次ブーム、2018年はさまざまなコラボによる第三次ブームが到来。トラヴィス・スコット×ナイキのエアジョーダン、サカイ×ナイキのワッフルトレーナー、コム・デ・ギャルソン×ナイキのエアマックスなど、次から次へと発売されるコラボに多くのファッション好きが一喜一憂することに。入手困難なコラボはプレミア価格で取引され、こうした売買に特化した専用アプリケーションまでもが登場。お笑い芸人のレイザーラモンRGの私物コレクションが大きな反響を呼び、バラエティ番組でもこうしたスニーカーマニアの芸能人が度々登場するようになった。一度も履くことはないであろう、希少なスニーカーをコレクションとして棚に積み上げることが、若者からオジサンまで共通する趣味として定着している。

バンクシーがワイドショーでも話題に

ストリートにある壁をキャンバス見立て、社会風刺を込めたグラフィックを世界中で展開していたバンクシー。素顔を明かさずゲリラ的な手法を取ることから、人々の興味を掻き立てていた。以前からバンクシーはマッシブ・アタックのメンバーかもしくは彼らと交流のある人物ではないかという噂が流れ、熱心な音楽ファンや一部のファッション層の間でも、高い認知度を誇るようになっていた。すでにKAWSのフィギュアで裏原系の人脈も獲得して、ファッション層にもベアブリックをヒットさせていたメディコム・トイ社は、いち早くバンクシー作品を立体化したフィギュアを販売している。2018年、サザビーズオークション代表作である『赤い風船に手を伸ばす少女』が、約1億5千万円で落札された直後、額縁に仕掛けてあったシュレッダーによって紙屑になるという動画が世界的なニュースとして駆け巡った。自身の作品が消費されることへのアンチとも取れるし、話題作りのためのパフォーマンスとも取れるが、いずれにせよ英国発のストリートアートが日本のお茶の間まで伝わることは非常に珍しいことだった。
 
翌年の2019年には、遂に日本でもバンクシーと思われるネズミのグラフィックが都内で発見されると、これはアートなのか器物損壊かといった論調で盛り上がった。とにかく自分が話題になることにだけは敏感な小池百合子都知事がいち早く反応して、失笑を買ったのは記憶に新しい。すでに現代美術界で有名だったアーティストやその文脈をすっ飛ばして、バンクシーに入れ込む人がこんなに多いのかと不思議に思えたが、ひとたびアート界のスターとしてバンクシーが紹介されると、無批判に受け入れてしまうのが日本人の特性なのかも知れない。2020年には横浜のアソビルで『バンクシー展 天才か反逆者か』が開催され、多数の来場者が押し寄せた。私も会場に足を運んでみたが、老いも若きもスマホを片手に和気あいあいとしている光景を目の当たりにして違和感を覚えた。個人的にはダミアン・ハーストやオラファー・エリアソン会田誠など、バンクシー以上に評価されるべきだと思うのだが、とかくスキャンダラスな方が衆目を集めるということなのだろう。ブラックジョークや社会風刺を込めたバンクシーの作品は、あくまで公共空間にあるから意味があるのであって、額縁や展示会場に納められた瞬間から陳腐なステンシルアートにしか思えなかったというのが私の感想だ。

多様性の申し子ビリー・アイリッシュ

ミレニアル世代のアーティスト、ビリー・アイリッシュがデビューアルバムを発表。翌年のグラミー賞では、主要4部門を史上最年少で獲得。気だるい歌声と中毒性のあるメロディーが印象的な“バッド・ガイ”が日本でも大ヒット。自らのセクシャリティを封印したブカブカのフーディーを着用したビリーのスタイルはファッション的にも大きな注目を集め、ミレニアム世代の代弁者として、彼女の動向をメディアがひっきりなしに伝えるようになった。女性であることで体型に注目されることを極端に嫌っていた彼女だったが、後にブリティッシュ・ヴォーグの表紙で、グッチのコルセットを着用して豊満なバストを披露することになる。こうしたビリーの変化に世界中の女性ファッション誌が反応。ミレニアル世代の代弁者が、女性“性”がもたらすさまざまな差別や偏見を世に問うたことは非常に今日的な印象を与えた。
 
続く

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