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アナログのススメ

昨日の手帳に関連する話だけれど、手で書くのは大事なことだと思う。ペーパーレス化とかハンコ廃止とかは大好きな僕だが、手書きでしか得られない高揚感とか、カタルシスってあると思う。これは効率とか便利さとかとはまた別の話だ。

「やりたかったことをやりなさい」という本では、毎朝ノート1ページに自分の気持ちを吐き出す時間を作れという指南がされている。それを書くにあたっての条件は、絶対に誰にも見せないこと、そして手書きでノートに書くこと。
タイピングだと早すぎるので脳の処理が追いつかない。手書きくらいのスピード感の方が、脳の情報を整理しながら書けるので、考えをまとめやすいそうだ。

たしかに僕もほぼ日手帳カズンサイズのあの大きな1ページを手書きで埋めた夜は、スッキリ寝れていた気がする。その最中は、テスト勉強に励んでいた学生時代を思い出し、何か特別なことをしている気分になる。
10年ほど前に林真理子さんが情熱大陸に出演していたのをよく覚えているが、やはり大先生も原稿は手書きで、秘書がパソコンで清書していた。林先生の文章を毎日写経していたあの秘書は仕事をしながら相当な文章力がついたに違いない。もしかしたらデビューとかしてるのかな?
「書くことは人間の魂をぶつけるようなもの。機械を仲介していてはその魂はぶつけられない」と氏は語っていた。
というお言葉をいま僕は手書きを仲介させず、パソコンで入力している。

話は少し違うけど、ディスプレイと紙の違いもあると思うぜ。脚本なんかを書いてると、パソコンでは気づかなかったことが、紙になると気づいてしてまう。そんなことが多々あるから不思議だ。
おそらくこれはディスプレイというよりはデバイスの問題だと思う。SNSやネット記事、バカで嘘まみれの情報に触れるのはいつだってスマホやパソコン、タブレット。だから液晶を通しての情報というだけで、我々は物事をストレートに見ることができなくなってしまった。
紙による情報は教科書や本、すなわち「編集」という一手間が加わったものばかりだ。だから雑音なしに見たままを素直に吸収できる。

デジタルデトックスという言葉が散見されるようになった。スマホなどの電子機器を一定期間触らずに生活することだ。人を便利にするためのツールだったはずなのに、いつしか多数の人間の生活を蝕む存在になってしまったということか。車の出始めは「鉄道なんてなくなる」と言われていたらしい。でも電車も地下鉄も新幹線も未だにめっちゃある。ないと困る。
アナログもきっとまた見直される。人は直接会って話すようになり、握手をしてハグをする。手書きでノートに書いた日記は誰にも見られることなくその役目を終え、棺と一緒に燃やされる。

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松本拓郎
サポートしていただいたお金を使って何かしら体験し、ここに書きたいと思います。