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ジェンダーレスの吊り革
今日は朝から穏やかでなかった。
駅のホームで電車を待っているとおじさんに声をかけられ、「次の電車、A駅止まりますか?」と聞かれた。毎日乗っている電車だ。僕は自信を持って「止まりません!」と答えた。朝から人助けできて、良い気分になったのも束の間、電車に乗り込むやいなや「次はA駅」というアナウンスが流れた。やってしまった。おじさんごめんよ。もう謝る機会もないと思うので、その代わりにこれからは不特定多数のおじさんに優しくしていこうと決めた。
やってしまった後も人生は続く。電車は動く。僕は吊り革を掴む。最近の車内広告は吊り革にもある。僕が掴んだ吊り革にはどこかの人権団体が出している広告で「ジェンダーレス社会を実現させよう」と書いてあった。なんだろう、どこか腑に落ちない。昨今よく目にするが、そもそもジェンダーレスってなんや?という話からだ。
ジェンダーレスとは、従来の女性観(レディース)にも男性観(メンズ)というジェンダー(社会性別)にとらわれない衣類・商品・表現を意味する 和製英語である
つまり性別の区分け、ボーダーラインをなくそうという話だ。しかも和製英語なのか。うーん、果たしてそれは本当に社会にとって「良いこと」なのか。
僕は男で、たまたま女性が好きだ。そんな僕がタイの風俗へ行って、可愛い子を指名したとする。しかしその子がいざ脱ぐと身体は男性であったことが判明。僕はそうなるとおそらく「チェンジで」と言うと思う。極論かもしれないけど、ジェンダーレス社会って突き詰めれば、そういう状況になっても他者を受け入れる度量が求められるのではないか。だとしたら男と女がいて、ノンバイナリー、バイセクシャル、ゲイ、レズビアン、クィアなどなどいろんな区分けがされている今のままでもいいんじゃないのと思ってしまう。ジェンダーレスファッションと一括りにするのでなく、レイザーラモンみたいなゲイファッションがあってもいいし、ディズニーに行くとよく見かけるお姫様コーデがあってもいい。
ジェンダーレスにして性別の垣根をなくすこととで、一般に広く受け入れられるようになるわけではない。個人の好みを無視するな。
あくまで我々が取るべきスタンスは
・いろんな人がいると理解すること
・マイノリティを否定する権利なんてないことを自覚する
・友達になるならない、恋愛対象になるならないは好みの範疇なので仕方ない
の3点ではないだろうか。
というか、僕が知らないだけですでに今の社会はジェンダーレスなんじゃないのか?女装とか男装して電車に乗る人なんていっぱいいるが、誰も見向きもしないじゃないか。外国人英語講師の採用を担当しているとこの前書いたが、面接が終わった後に「そういえばさっきの人、性別何だったんだ」と思うことはたまにある。僕の中でも会社の中でも、性別はそれくらい意味をなさない。しっかり仕事してくれればそれでいいのだ。そういう会社がいまはマジョリティだと思う(あくまで肌感覚)。
今の社会が「ジェンダーレスじゃない」というのなら具体的にどうなれば達成なのか教えてくれ。「生きやすい社会になった」と思っていたマイノリティの人たちがあの広告を見るとどう思うだろうか。余計なお世話なんじゃないの?その団体が「ジェンダーレス社会を実現させよう」と提言したからには何年後かに答え合わせが欲しい。
「松本さん、こんにちは。あの時の吊り革です」
「えーっと、すいません、どちらの吊り革さんでしたっけ」
「ジェンダーレス社会の」
「あー!お世話になっております」
「ご報告なのですが、ジェンダーレス社会、無事に実現できました」
「あーそれはそれは何よりです。お疲れ様でした」
待ってるぜ。
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