親子の距離
ヤマハ発動機の社長が自分の娘に刺されるも、幸いにして大事に至らなかったというニュースを見た。逮捕された娘さんのXアカウントはネット民によってすぐに特定され、以前よりツイートを通して「ヘルプ」を出していたことが判明する。
「生きるのやめてえ」
「いなくなりたいなー」
「自分の人生に集中しなきゃ」
そして、
「がんばってみたいけどがんばれない、がんばる理由がないのだろう、これが親が金持ちの子供の苦悩」と発信している。2023年1月15日のツイートである。この1年8ヶ月後、彼女は実父を刺すことになる。それがどういう経緯で、防衛だったのか攻撃だったのかはまだ判明していないが、親子の間で何かが爆発したことは確かだ。
親ガチャという嫌な言葉がすっかり定着した。金持ちで生活に不自由しない親の元に生まれるのは、親ガチャ成功なのか失敗なのか、僕には分からない。分からないけど、金はなくて貧乏でも仲の良い家族を僕は知っている。USJは高いからひらパーの年パスをこするだけこすって遊び尽くす家族を知っている。アイデアは貧しさを超えていけるはずなのだ。じゃあ何が必要なのだろう? 僕は距離感だと思う。
親子は近すぎず遠すぎずがいいというのは誰もが分かっていることだが、僕たちは度々その距離感を見誤る。2018年3月、滋賀県在住の31歳の女性が実母をナイフで殺してバラバラにし、庭に埋めた。公判を進める中で、娘は母の支配下にされ長年苦しんできたことが分かった。学歴絶対主義のその母親は娘に9年間にわたって浪人生活を続けさせた。人格否定ともとれる言葉の暴力、自分が敷いたレールに娘を乗せたいという支配欲、そのおぞましき関係性は「母という呪縛 娘という牢獄」という本を読めば堪能できるのでぜひ読んでいただきたい。やっと自由になることができた娘は、母を殺した後、普通の社会人を装って嬉々として病院で働いていたのだという。
語弊があるかもしれないが、僕は息子とは「むちゃくちゃ仲の良い他人」でいたいと思う。仲が良いから多少のゴリ押しはする。英語は話せた方がええで。小学生くらいで留学行けばええんちゃうの。野球やるならキャッチャーやな。女の子とはたくさん話しとき。でも他人なのでそこから先は干渉しない。この前おすすめした映画観いひんかったんや。好みじゃないなら仕方ないよな。学校休むんか。まあ行きたくないならええんちゃう。
人に歴史があるように、親子も複雑な過去を紡いで一緒に成長していく。それぞれに事情があるのはもちろんだけれど、そんなこと分かっているけど、子に刺されるような教育の結末はあまりに寂しすぎる。どうせ刺されるくらいなら(うちの子は刺さないけどね)、精一杯の愛情を注いでから刺されたいな(刺さないけどな!)。
サポートしていただいたお金を使って何かしら体験し、ここに書きたいと思います。