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出された食べ物を吐きだす優しさ

ご飯を作ってもらって食べた時の感想は、結局のところ「美味しい」しかないと思う。あれに正直な態度や「あなたの今後のためを思って」系のアドバイスはいらない。出されたものは全て美味しい。僕の場合はバカ舌なので実際にほとんどの物が美味しいのだが、たとえ自分の口に合わなくても「むっちゃ美味いですね!」と言うようにしている。

オーストラリアに住んでいた頃、ホームパーティがあったので、作ったこともないサーターアンダギーを苦心して作り(当時は謎に料理の腕に自信があった)、持って行った。正直、出来栄えはイマイチであったので、何を言われてもいい覚悟だった。ほら食え食え、そして正直に感想を言ってくれればいいさ。そして案の定、反応はイマイチであった。「まずい」こそ言われないものの「美味しい」とも言われない。
無性に腹が立った。僕がどんな思いで材料をかき集めてメンソーレしたと思っているのだ。どんな思いで料理研究家リュージの動画をハイサイしたと思っているのだ。

生きる上で正直な態度はとても大事だ。誠実さこそが信頼を勝ち取る。しかし、こと料理においては正直になる必要はない。料理コンテストをしているわけでもあるまい。審査員になる必要は全くないのだ。

どうしても不味いものが出てきたら、食べずして「美味しいですね」と言う荒技もある。フィリピン留学へ行った時、現地のマリンアクティビティに日本人の友達Yさんと一緒に参加した。その時のランチタイム、ビーチで海鮮料理が振る舞われたのだが、なにせフィリピンだ。衛生面はやや心配である。しかしせっかくのおもてなしを無下にするわけにはいかない。どうしようか迷っていると、隣にいたYさんが高速でエビを口に入れ、くしゃみをするかの如くビーチに吐き出した。そして満面の笑みで、出してくれた人に対して"It's so good"。むっちゃ美味しい!やあるかい。しかし振る舞ってくれた現地の方はまんざらではなさそうだ。

優しさについて考える時はいつも、ご飯の感想や、Yさんのフィリピンでのエピソードを思い出す。Yさんは出されたエビを吐いた。それは紛れもない事実である。しかしそうすることで誰も傷つかなったのも事実だ。わざわざ自分のために作ってくれた、用意してくれた、その事実だけですでに美味しいではないか。

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松本拓郎
サポートしていただいたお金を使って何かしら体験し、ここに書きたいと思います。