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主人公の作り方

「韓国ドラマを深く面白くする22人の脚本家たち」という本が先月刊行されたので、早速読んでいる。正直、これまで完走できた韓国ドラマは数えるくらいしかないが、ドラマ大国として韓流ドラマが世界ナンバーワンだということは知っている。一度日本のテレビ局が韓国へ渡り、ドラマ制作会社大手スタジオドラゴンを取材していた。そこで露わになったのは、激しい社内競争、細分化されたチーム、脚本家をはじめとする無数の下請けたち、、その構造には世界一への裏付けが確かにあった。

「梨泰院クラス」は見ていたので、原作者であり脚本家のチョグァンジン氏のインタビューがあったのは幸運であった。実はチョ氏も主人公のパクセロイと同じように、どん底からでも這い上がってやる!というタイプ人間らしい。漫画家としてデビューするまでに何百万も借金をし「芸術で食っていくために」自分を追い込んでいたようだ。やはり成功するためにはそれくらいしないといけないのか。

自分を追い込む手法は今まで何度も先代から語られてきた。芸人なら家賃の高いところへ住め、寿司職人なら安月給で見習いを何十年もしろ、脚本家なら貯金を切り崩して執筆に時間をかけろ。
でもそれって本当だろうか。
成功者の苦労話は美談として語られる。しかし成功者の陰にいる「語る場のない人たち」にも目を向けるべきではないだろうか。そして、語る場もないまま消えていった人たちは、言うまでもなく無数にいる。

チョ氏の場合は決死の思いで、借金をしてまで時間を作り「梨泰院クラス」という最高傑作を作り上げた。しかしそこから世間に受け入れられるかどうかは運の要素ももちろんある。それこそ長家みたいなやつらが出てきたら実力を正当に評価してもらえないだろう。

少なくとも僕は一点集中で夢を追う勇気はない。そういう意味では、パクセロイみたいな主人公を僕は描くべきでないのかもしれない。ボロはどこかで出る。いくら創作でも作者の人間性は滲み出て、自分からは逃れられない。主人公というのは基本的に強くて、困難に立ち向かって、仲間と協力して解決する。そうじゃなくてもいいだろう。猫背でネガティブで全てを小馬鹿にし人の悪口だけを生きがいにする協調性のないキャラが主人公でもいいじゃないか。

何にせよ「韓国ドラマを深く面白くする22人の脚本家たち」、面白いです。

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松本拓郎
サポートしていただいたお金を使って何かしら体験し、ここに書きたいと思います。