何もしない指導法
世の中で一番厄介なのは「させようとしてくる人」だと思っている。どうやらああいう人たちは、自分が良い!と思うものは、みんなにとっての良い!だと勘違いしているようだ。そんなことは決してない。
陰謀論者や環境活動家が疎ましく思われるのも、一部の強要してくる人たちのせいでおこがましいイメージを与えているからだ。自分がそう考えるなら1人でそう思っとけばええやん、人に絡むな、僕が一回でも君に相談したか?と思ってしまう。
人に何かをおすすめする、アドバイスをするにしてもちゃんと退路は作ってあげるべきだ。映画一本おすすめするのでもそうだ。「あれいいよ絶対見て絶対見て、キミ絶対好きだから。いつ見る?何日までに見る?来週感想会しようよ」ではあまりに窮屈すぎる。私は好きでした!くらいのスタンスじゃないと。そもそも映画や小説をおすすめするのが苦手だ。人の何時間も奪うことになるからそれなりに荷が重い。おもしろかったらそれは作り手の成果だし、おもしろくなかったら推薦者のせいにされる。実はあれって結構ハードなクエスチョンなのだ。
米国のスポーツ指導法として主流のコーチング論は「聞かれるまで答えない」というスタンスらしい。選手が聞きにくるまでコーチはずっと見守る。聞かれたら、待ってましたと言わんばかりにやっとアドバイスをする。コーチは無駄になるかもしれない準備を常にしておき、その時が来るまで待つのだ。無駄でおせっかいで、もったいないお化けの日本人にはおおよそ理解できない指導法かもしれないが、コーチングとはそういうものらしい。
阪神の今岡打撃コーチはこの方法を取り入れ、タイガース打線は12球団屈指の強力打線になった、、かはさておき、日々指導にあたっているそうだ。
させるお節介があるところに、見守る優しさがある。しかしコントロールできてしまう立場になるとどうしてもしたくなるのが人間の性か。どうしても困ったら、その時は言うから。相談するから。息子が誕生した僕も、見守る勇気を持ちたいな。