恋なきテラスハウス
今年の4月から7月は枚方のシェアハウスに住んでいた。新しい職場は大阪に決まったのだが、里帰り出産の奥さんと息子が8月から関西に来ることになっていたので、3ヶ月間の仮の家が必要だったのだ。
「ひつじ不動産」というシェアハウス専門の情報サイトを見て、即決で決めた。住人は僕を入れて5人。陽気なアメリカンガイと、株式トレーダーの40代くらいの女性、そして25歳くらいのシングルマザーと3歳の息子。テラスハウスような華やかさはもちろんないし、恋とか愛も生まれない。ただただシェアして家賃を抑え、プライベートを守りながらも寂しさを紛らわせたい人たちが生活をするための場所だった。
五感によって記憶は形成される。僕がこのシェアハウスを思い出すときについてくるのは、シンママの「怒鳴り声」だ。朝は下の共用キッチンから聞こえてくるシンママの「ご飯食べて」で目覚める。その子は毎日ご飯を食べないようでシンママは手を焼いていた。帰宅する頃にもまた「食べて」と、半分絶叫しながら格闘する声で出迎えられる。風呂では「やめて!」とよく言っていた。木造だから2階にも余裕で響いてくるのだ。
これがドラマで、シンママがヒロインならば、僕たち他住民が率先して育児や家事を手伝って息子さんの成長を助けるのだろうが、そういうことは誰もしない。一つ屋根の下であっても、それぞれに生活があり、あくまで介入しないのが暗黙の了解である。それがシェアハウスでの正しい生活の仕方だと思っている。
一度だけ「これはさすがにいつもと怒鳴り方が違う」と思い、2階から共用キッチンに駆けつけたことはある。シンママは、案の定息子がご飯を食べずに困り果てていて、僕が駆けつけたころには床に平伏して泣いていた。それを見てその息子は笑っていた。僕は「せっかく作ってくれたんやから食べや」と言って、実際に食べてみせたが、頑固になっているのか息子くんは食べない。シンママは「ありがとうございます。もう大丈夫です」と言って、僕の前で食事をゴミ箱に捨てた。
アメリカンガイは以前よりシンママと揉めることが多かったらしく、僕と同じタイミングで出て行った。株式トレーダーも理由はわからないが、僕たちが出て行ったあとに退去したらしい。これが大人たちのシェアハウスのリアルである。それぞれ事情を抱えた人が集まるのでこうなって当たり前ともいえる。
あの親子は元気にやっているだろうかと、退去して4ヶ月ほど経った今でもたまに思う。息子くんはご飯を食べるようになって、シンママは前よりも楽に子育てができているといいな。昨日も書いたけど、親は自分の時間を取らないといけない。
シェアハウスのオーナーは、誰でも受け入れたるわいという感じの器のデカい人なので、あの家は今日もバラエティに富んだ濃いメンツで賑わっていることだろう。退去の立ち会い時にオーナーから掛けられた言葉が頭に残っており、1人じゃないと励まされている気がするのだ。
「離婚したらいつでも戻ってきてください!」