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自由の翼

2020年春、晴れて大学に入学した。
とはいっても、その年に入学式は無く、サークル活動も無く、ただただお家でPCと向かい合うだけの生活が始まった。

唐突だが、私は適応能力が高い方である。
与えられた環境の中で、そこにあるリソースを最大限活用して、自分なりに幸せに生きることができる。
その環境をポジティブに捉えることができる。

それもあり、コロナ禍で生活が制限されて多くの人が苦しむ中、私はそこまで苦しむことなく自由気ままな生活を送ることができていた。

実際にアルバイト先は入学後すぐ確保して、テレワークでお金を稼いでいた。
学部の仲間ともTwitter等のSNSを通じて知り合い、時には対面で、時にはZoomで顔を合わせてお話しした。だから、友人作りにも困らなかった。
趣味は多様だったから、アウトドアな趣味を封印しても、インドアな趣味で日常を彩ることができていた。

だから、コロナ禍の大学生活は特に不自由もなく、むしろ高校時代の忙しさから離れて、自由に過ごすことができた。
受験勉強から解放された、いまこの時が本当の自由だ。そう思っていた。


この頃、対面授業/オンライン授業のどちらが良いかという議論が至るところで行われていた。
それは私の周りについても例外ではなく、そのトピックについて先輩と話した際に言われた言葉が印象に残っている。

「変えられないことに対してポジティブに捉えることにはめちゃくちゃ同感だけど、やはりもう少し色んなことに腹を立てて変えていこうとしても良いのかなぁとかも思う。
コロナ=オンライン授業という感覚をすでに持ってしまっているけど、よく考えたら、小中高生は普通に学校に行っているし、リモートで仕事してない社会人もたくさんいる。良いか悪いかは別で、オンラインに慣れすぎてしまったと思う。」(原文ママ)

この時は共感しつつも、でも今の生活に対して大きな不満はなかったし、何か行動を起こす気にもならなかった。

今振り返ると、先輩がこのように言ったのは、おそらくコロナ前の大学生活を知っていたからであろう。
ただ、2020年度入学の私(たち)は、幸か不幸かコロナ禍での大学生活しか知らなかった。


さて、そうこうしているうちに月日は流れ、大学3年生になった。去年のことである。
ウィズコロナ、アフターコロナという標語が叫ばれるようになり、本来の大学生活が少しずつ戻ってきた。

もちろん制限はありつつも、対面授業やサークル活動、NF(大学の学祭)まで行われるようになった。

そこで初めて知ったのである。
私(たち)は今まで不自由だったことを。

対面で学部の後輩と話す機会も増えたが、そこで聞いた話は自分たちとは異なる大学生活で。
クラス指定の言語の授業の後にみんなで学食に行った話。
いろんな新歓でタダ飯いっぱい食べてそろそろ飽きてきた話。
たまたま授業で隣の席に座った子と仲良くなって付き合うことになった話。

そんな世界線があることを知って、初めて気づいたコロナ禍の不自由さ。
なんならそれを知らないまま大学生活を終えてしまった方が幸せだったのかなあと。
そう嘆いても、来年の今頃には学生ではなくなっているらしい。



気づけば大学生活は終わりを迎えようとしている。
「もう少し色んなことに腹を立てて変えていこうとしても良いのかなぁとかも思う。」


#いまコロナ禍の大学生は語る

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この文章は、「#いまコロナ禍の大学生は語る」企画に参加しています。
この企画は、2020年4月から2023年3月の間に大学生生活を経験した人びとが、「私にとっての『コロナ時代』と『大学生時代』」というテーマで自由に文章を書くものです。
企画詳細はこちら:https://note.com/gate_blue/n/n5133f739e708
あるいは、https://docs.google.com/document/d/1KVj7pA6xdy3dbi0XrLqfuxvezWXPg72DGNrzBqwZmWI/edit
ぜひ、皆さまもnoteをお寄せください。

また、これらの文章をもとにしたオンラインイベントも5月21日(日)に開催予定です。
イベント詳細はtwitterアカウント( @st_of_covid をご確認ください )
ご都合のつく方は、ぜひご参加ください。
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