2016/9/2
悲しい事とか暗い事を歌ってるつもりもないけど、
明るくて楽しい事を歌ってるわけでもなくて、
ただ無休で人間やりながら音楽を作ってると自然とそうなる。
やはり泣いて、でも少し笑ってもきたので。
2月29日のつぶやきだった。
この頃からだろうか。「淡々とやる」ことの大切さが分かってきたのは。
改めて、 「モチベーションを無理やり上げたり、
いきなり凄いやる気を出すのって続かないよなぁ」と思っていた。
「淡々と、当たり前感MAXで、日常的に恒常的に何かをやる」
このステージに自分のやる事を持ってくると、凄く続く。
そして、それはどんどん楽になる。
意識せずとも、習慣化され、当たり前になるからだろう。
だからほとばしるやる気というのは、いらないと思う。
普通でいいのだ。それを普通にしてしまうのだ。
この日刊制のブログも41日目。
ほんの少しだけど40日目より楽になっているように感じる。
初めて3日目の段階と比べたら、雲泥も雲泥の差だ。
そして「淡々と続けていくこと」には凄まじい破壊力がある。
「毎日少しずつ積み重ねたこと」というのは、短絡的な結果よりもはるかに説得力を持つ。
2月29日の段階では気付かなかったことに、最近気付いた。
淡々と当たり前に続けていると、まわりから見てもそれが当たり前になるということだ。
「継続」すれば、自分の負荷や、苦痛に対して鈍感になっていくことは知っていた。
「毎日算数ドリルを30分やる!」と掲げても、初めたてはめんどくさいし、つらい。
だが、続けていれば徐々に当たり前になる。これが楽になるまでに、僕は90日間はかかるという話だ。
でも、自分だけではなく、まわりも一緒に鈍感になることは知らなかった。
「毎日勉強30分」を続けていけば自分と同じく、
それを見ている人たちにとっても、だんだんと特別なことではなくなっていく。
「最近やる気出して、よくやっているよね!」が
「あの人はああいう人だ」に変わるタイミングなのだと思う。
「なんか最近勉強しだした人」が「よく勉強する人」というイメージに変貌するのだ。
「淡々と続けていくこと」の影響下にあるのは、自分だけでは無い。
まわりも、「淡々と続けていく自分」の影響下にある。
他者をこの影響下に持ってきたとき、僕たちは信頼を勝ち取る。
「最近やる気出して、よくやっているよね!」の段階は言い換えれば
「急にやる気になったけど、いつまで続くかな?」ということなのだ。
潜在レベルでの信頼は勝ち取っていないと言える。
実績が積み重なることで、僕たちは人に信じてもらえる。
たとえば僕たちはイチローさんに対して
「自分に対する厳しさがあって、どんな困難も限界も、突破してしまう人」
というイメージを持っている。
つまり、そのイメージから大きく、逸脱しない人という信頼を置いている。
信頼されている人にだけ、「良いギャップ」は生まれる。
イチローさんは3000本安打の達成時に静かにベンチで涙を見せた。
こっちの目頭まで熱くなるギャップだった。
ではイチローさんはなぜ信頼を勝ち得たのだろうか。
それは長い年月をかけて、実績を積んできたからだ。
ヒット一本打っただけでは、誰も
「自分に対する厳しさがあって、どんな困難も限界も、突破してしまう人」などとは思わない。
「ヒットを打つ」という結果だけを見れば、1本目も4257本目も同じだ。
だが、1本目を打った頃のイチローさんに対するまわりの印象と、
4257本目を打った今年のイチローさんに対する印象は雲泥だ。
意外と世間やまわりは僕たちの結果ではなく、プロセスを見ている。
僕たちはもっと「続けていくこと」を信頼してもいい。
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