ちゃんと立って、歩いて、ごはんを食べて、やっていく
半年経っても、僕はあのひとから教わった飲み方をやめられなかった。
睡眠剤を半分に割って、ビールで流しこむやり方だ。
「こうしたら余計なこと考えなくてすむやろ」とあのひとが言っていたことを、思い出しながら、それすら思い出せなくなるまで、僕はひたすら飲んでいた。
思考をボカしたいから酒を飲む。
ならば、何かしらの薬と酒を混ぜて服用するのは、手っ取り早いように思えた。
しかし、薬には耐性があるらしく、次第に半分では効かなくなっていた。
飲むのは4錠か5錠がちょうどよかった。
10錠飲むと記憶を無くした。気がつくと辞めたバイト先に戻ることになっていて、神崎川のほとりに僕の自転車があった。
もし100錠飲んだら、気がついたらTOYOTAの重役にでもなって、ニューヨークで目が覚めてしまうんじゃないだろうかと思った。
その日もボケた頭で外に出た。
めずらしく午前中から外に出ることができたので、自分を表彰するほど褒めてやりたかった。
ゆるくなった頭で見る世界は実際のカタチと少し違っていた。
青色が黄緑に見えるほどではなかったが、直線が曲線に見えるぐらいにはなっていた。
だけど、実際からどれぐらい遠ざかれば、適量なのか僕にはまったく分からなかった。
あのひとがいなくなって、僕はいつまで経っても寂しかった。
彼女は結婚していたけど、それでもいいから一緒にいてほしかった。いなくなって分かったが、僕のなかでとても大きなウェイトを占めていた。
時間が経つにつれて、どんどん寂しさが大きくなった。理解者のいない孤独は、刺すように鋭くて、この世の終わりみたいだった。
僕は歩けなくなって、商店街の隅にしゃがみ込んだ。しばらくそうしていた。気分が吹き飛ぶまで、膝のあいだに顔をうずめていようと思った。そんなことはめずらしくもなんともなかった。毎日がこうだったからだ。
道にしゃがみ込んでいる人間が少なくない町のせいだろうか。誰も僕を気に留めていないように感じた。
こうして、かわいそうぶって倒れていたら、何回かに一回は誰かが話しかけてくれた。
いきなり恐喝をくらいもしたが、それでも恩恵の方が多かった。気がつくと僕は駄目になっていた。すっかり、ひとの同情を買って生きていくやり方が染み付いていた。
どれぐらいの時間そうしていたのか検討もつかない。気がつくと、あたりは暗くなっていた。
遠くでまたサイレンが鳴っていた。建物と月面に音が反射して、不揃いな楽隊みたいだった。
気がつくと、サイレンの中にカツカツという音が混じりだした。靴が地面を叩く音だった。
音がアーケードの天井に跳ね返る。「嗚呼また、誰か来る。金持ちだったらいいなぁ」と思った。
「大丈夫?」
聞いたことある声だった。
見上げると、あのひとだった。ドラマかマンガではもっと劇的に再会するのだろうけど、現実はあっけない。もう会えないと思っていたひととの再会でさえ、そんなものなのかもしれない。
「なにしてんの?」
「いや、べつに・・・・・・」
僕は動転して、何を言えばいいのかわからなかった。
「ビール飲む?」
「飲む・・・・・・」
しばらく待つと、彼女がラガーのロング缶を何本も買ってきた。
よいしょ、と言って、彼女が隣りに座った。
商店街には誰もいなかった。遠くでいろんな音がする。でも、それは遠い世界の出来事のようだった。
「こうして見ると、街も綺麗に見えるね」
「なにも、無いですよ」
「誰も見えないのに、遠くに誰かおるとか綺麗じゃない?」
「それは、そんな気がします」
僕は彼女の声を聞きながら、声を押し殺して泣いた。かっこわるくて、また膝のあいだに頭を押し込んだ。彼女はケラケラ笑って頭を撫でたが、それがもっと嫌で僕は手を払った。
「ちゃんと立って、歩いて、ごはん食べて、やってかなあかんねんで。死んじゃうまでは」
右耳にそんな言葉が飛び込んできた。
「じゃあ、もう行くね。またね」
僕は何も聞こえないフリをして、膝のあいだから頭を抜けなかった。そして、隣りから彼女の気配が消えた。
あの「またね」が今も忘れられない。「永遠にさようなら」と違いの無い「またね」だった。それでも「またね」と言って、消えていく彼女がかっこよかった。
人生には本当のことなんて必要がないときがある。
そんな不必要なものが、人間ひとりを蘇らさせるときだってある。
僕はあの夜からちゃんと立って、歩いて、ごはんを食べて、やっていくことを、少しずつ始めてみた。
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