じきに忘れられる、でもさの話
「じきに忘れるだろう」と解散について書いているけど、決して忘れられることを100%受け入れてもいない。
やはりさびしい。キツイ。
続けるという選択肢はもちろんありえないが、さびしい。
熱にうなされたのもあるが、強烈に痛いしさびしいし苦しい。僕だってみんなと一緒だ。
こういうのって、終わった直後は何ともならないみたいだ。あんまりさびしくないし、哀しくもない。
しかし、だんだん時間が経つにつれ「嗚呼辞めたのだな」という事実がのしかかってくる。終わったということが、ジリジリ心と自分の中の漢を押しつぶす。
だけどこれでいいのだ。「独りで泣いている」で全然正しい。
無くなったときにはちゃんと泣きたい。
大事なものなんていくつもない。
悲しむぐらいには悼みたい。
僕はちゃんとさびしくて、ちゃんと激痛の中で息をしている。
このさびしさを埋めるためにまた歌を作るだろうし、人前でも歌いたくなる。
轟音や高速というサウンドはもう必要無いと思っているけれど、もっと鋭くて確信的な言葉を書いていきたい。
何人かに「言葉に救われた」と言ってもらえた。嬉しかった。今年はそこに特化した歌を作りたい。
「新しいものを作りたい」という心根は昔から変わらない。「痛いときこそ」というのも変わらない。
少し休んだら拳を握って、また冒険の旅に出かける。そこんとこは男なのだから。
4,5日ぐらいは休む。たぶんみんなが思ってるよりずっと早い。じっとしていることに耐えられない。
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