2016/07/30

百聞は一見に如かずだった
実際に泣いて笑って触らないと身にならない
でも同じ体験をしても最高に感受する人もいれば経験後、何も変わらない人もいる
その差は一見に巡り合うまでの百聞の中にあったりした。
読んだり聴いたりだけの疑似体験が、いざマジ体験が来た時に何倍も味を引き立ててくれた

『聞いたり読んだりしただけじゃ意味ないよ。実際に経験しなきゃ身にならないよ』

よく言われることだ。

「勉強よりも実践が一番ためになる」
「経験こそが最高の学びの場だ」
「机上の空論でものを言うな」
「頭でっかちになるな」

そんな言葉にも言い換えられる。

本当にそうかなぁと思ったことがあったので、書いてみる。

僕は二十歳を越えたあたりからずいぶん本を読むようになった。
音楽もよく聴くようになった。映画はあんまり観ない。

その中でも電子書籍には一番触れていると思う。
コミックを合わせたら年間に400冊とか読んでるかもしれない。

これに加えてWebコラムやキュレーターサイト、Webマンガも合わせると、
凄い数の情報が頭の中に入ってきている。

でもこれらの情報をすべて実践し、毎日に生かしているかと言われると、全然違う。
たまに表面化するものもあるけど、それは本当に一部でしかない。

つまり、実践より勉強(勉強とは思ってないが)の方が量として完全に上回っている状態だ。

じゃあ表面化していない知識はムダだったのだろうか。
しょせん「机上の空論」だったのだろうか。それらは僕に不要なものだったのだろうか。

いやいや、そんなことはなかった。

これはいろんなことを備えておくと、いざ「机上の空論」が現実に訪れた時に、
備えていないよりも楽しめるよって話。
ピンチの時には、より戦術も選べるよーって話。


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