
仕事やめたい!ならば
夢や希望が大切なのは分かっていた。
「目標はデカければデカい方がいい!」と散々言われてきたからだ。
親も先生も言うし、そのへんのバンドも言う。事務所やレコード会社の担当も言う。宗教や神様まで言う始末だ。
いつも「いや、でもさ」と思っていた。
デカイこと語りたいひとは語ればいいけど、語りたくないやつにまで語らせるのは無理がある。
ビジョナリーマインドセットにはそれぞれのベストがあると思うのだ。
僕は小さいときから「夢や希望!」の少し手前を目指していた。
夢や希望がメインディッシュなら、前菜をがむしゃらに追いかけた。
というよりむかしから過呼吸を繰り返したり、怒りがちなせいでQOLが著しく低い10代だった。夢や希望どころか、明日も金も無いというのが事実だった。
そんなときに「ゆめ!きぼう!」とか言われても「ちょっと黙っててくんねーかな?」となるのが普通だ。
そんな大層なビジョンよりも、前段階である「普通の暮らし」が僕の目標だったのだ。
そんな僕も2018年の現在、なんとかやれている。
暮らしはできているし、身体も心も壊れていない。10代の頃よりも確実に生きている。
ようやく「今、夢があってね」と話せるようになったのだ。
むかしから僕を支えてきたのは、この「手前を目指す」というやり方だった。ずっとそうだ。僕は手前めがけて走ってきた。
これはあくまで『僕の場合』だが、「目標は高い方がいい」という説を心の底から信じていない。
もちろん、ほとんどのひとが口を揃えて「目標は高い方がいい」と言う。
ガキの頃は「そうかも」と思ったこともあった。
でも、高い目標設定をすると毎度破綻するのだ。
そこばかり見て、何ひとつ進んでいないなんてザラにあった。
反対に「手前を目指す」を使うと、「思っていたよりも奥に届いた」が多かった。
やりたくない仕事をしているときもそうだった。
僕はいつも「せめて今月いっぱいがんばる」でしかなかった。「今月いっぱい」が連結して、続いていった。
その一ヶ月が重なって意外と続くのだ。
そして一年後ぐらいに仕事はうまく回りだした。
高校のときも「後一ヶ月だけ続けてみる」を36回重ねて、なんとか卒業した。
二十歳の頃も「後一日だけ首吊るのをやめてみる」で生き抜いた。
QOOLANDも「とりあえず」だった。
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