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【読書】やらかした時にどうするか
そもそも失敗とはなんなのか?
失敗って言葉だけで、ほんとは
存在しないのでは?
しない方がいいとは思うけど、
しないと、身につかない、覚えない気もする。
失敗を避けるのは、なぜなのか?
そんなことをつらつら考えることが
多くなってきたところ、
この本を手に取っていた。
なぜ、失敗について考えるようになった
かと考えてみると、
失敗を騒ぎ立てる人、煽る人、
執拗に指摘する人が、
職場にいるから。
不快であり、不当ではあるのだけれど、
「失敗しないと覚えない」の
一言には理があるように思えて、
どうにも腑に落ちない。
その人個人の伝え方が極端に下手くそ
なのは分かるし、結局、指摘することで
改善を望むのではなく、本人な感情のはけ口、
憂さ晴らしの口実に「失敗」を利用している
としか思えない。
けれど、失敗自体は事実としてあるし、
何とかしなければいけないこと、
同じことは繰り返したくないこと、
であるのは間違いない。
他人攻撃モンスターの不必要、過剰な言動に
対する怒り、不満はさておいて、
「失敗」は本当にいけないことなのか、
読み進めていくと、失敗の定義については、
このように書いてあった。
「人間が関わって行われた行為が、最初に定めた目的を達成することができないこと」です。言い方を変えれば、「人間が、ある一つの行為を行った時、望ましくないことや、予測しなかった結果が生じること」
ものすごく、単純に言うと、
「思ってたのと、違う。」
これも、職場のプッツン系おじさんが、
口から屁を出していた中で、
聞いたことがある。
なお、ここでの屁とは、すぐ消える言葉のこと。
では、なんでも予期の通りにいくかと言えば、
そんなことないのは、誰もが経験的に分かる。
本の中でも、自然災害、人災の例えで
それは語られている。
また、失敗がないように先回りし続けるのも、
良い結果をもたらさないことは、
小学生にナイフを使わせないようになった、
教育現場の話で出てくる。
過度な危険回避は、
実際の痛みを知らない、想像できないに繋がり、
使うことが不可避となった時に、
手におえないことになってしまい、
問題の放置や、取り返しのつかない事態に発展してしまう。
失敗自体がそうそう悪い物ではないとは
分かってきたところで、
ではなぜ失敗を避けるようになるのか、
なぜ失敗が嫌だと感じるか、なのだけれど、
ここからは私見。
冒頭述べたように、
過剰に指摘する人、騒ぎ立てる人が
いることが原因だと思う。
失敗を教えてくれる、知らせてくれる存在としては
貴重だとは思う。(やらかした本人が認識していない場合も
多々あるので。)
ところが、やれ大変だ、迷惑だ、問題だ、と
まくしたてられると、そんなに悪いことをしたのだから、
もう二度と無いようにしよう、と思う、正常な思考の人ほど。
しかし、失敗しないなんてありえないから、
また失敗はする。指摘が来る。
だんだん嫌になって、隠すようになる、無かったことにする。
そうすると、本当に大変な、
リカバリー不能な事態にまでなってしまう。
さぁ、一番の問題はなんなのか、
分かった気がする。
「失敗」自体が問題なのではなく、
それをとらえた時の人の振る舞い、特に
指摘する側の行動、言動、ここだ。
上手く言う必要も、過度に配慮する必要も
ないけれど、
「失敗」ははっきりさせつつ、
それを取り返しのつかないようなこと、
実態以上におおげさに問題視することが、
一番の害悪である、と
本書を読みながら思った次第。
よし、やらかしに行こう(笑)
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