なりたいのは「粋」な人
人を攻撃するときがあります。
相手に甘える事が出来て、
受け入れられると思っていて、
反対される事もないと思い込んでいる
のだと思います。
相手を対等にみる事なく、
上下で見てしまう時があります。
(上に見ていたとしても、
「上にいるなら、もっとしっかりして
欲しい。」となります。)
なんの本で読んだか思い出せない
のですが、
同じ時間を生きている人同士、
前と後ろを歩いているだけ。
先に生まれた、後に生まれたというのは
そういうこと。
能力も同じで、得意不得意は
上下ではなく前後。
私の自身、階級や上下関係を嫌うわりに、
それを利用したり、その価値観に拘っている
節があります。
変われない、捉われているではなく、
無意識、無自覚に
そこが快適だと思っているから。
そういう環境に身を置く事で、
「成長しない自分」を受け入れてしまって
いるのでしょう。
何度も何度も読み返して、
付箋、赤線びっしりになった本なのに、
忘れていました。
この言葉に言い換えると、
人を攻撃する人間になりたくないのか。
人を攻撃する人と思われたくないのか。
人から見られる事を気にするのは、
「相手を選んで攻撃する」ことだと思います。
攻撃することには変わらないです。
ものすごく格好悪いです。
もっと感覚的な言葉で言うなら、
ダサい、粋ではない、です。
いつの間にか、粋かどうか、
を考える余裕すらなくなってしまって
いたのかもしれません。
自分自身の心の中が波風立たず、
静かに淡々と嬉しい事、楽しい事を
拾える状態。
一人ご機嫌状態であることが
私の「粋」なので、
その時は人の目は必要ないだと、
ここまで書いて落ち着きました。
人を攻撃しそうになった時、
「これは粋なのか?」
自分に問いかけようと思います。
ではてはこの辺りで。
出勤しまーす。
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