お金にはならないことの方に惹かれる。
村の事を知ってどうする?調べてどうする?
話題にする気か?材料になると思うのか?
共通の事として。
そんな気も一瞬よぎるけども、
そんな上っ面でつけた知識はすぐに見透かされる。
自分だって知ったようなことを言われると、
釈然としないのは同じ。
そういうことではない気がする。
どんな道が続いているのか?
どんな家があるのか?
畑はあるのか、ガス、水道、電気はどうやって
管理されているのか?
救急車はこれるのか?どうやって
外の情報を仕入れているのか?
気になることは増える一方、
本には書いていないことも多い。
現場に行って、また本で知識を補充、補強して、
また現場に行く、の繰り返し。
これで、身体に染み込んでいく気がする。
見て、話して、感じないと、分かんないから、
行くしかない。
遊んでると言われようと、
仕事をしていない、と言われようと、
その場所にいる人、ある物に触れない限り、
せっかく本を読んでも染み込まない。
もったいない事この上ない。
「あの場所の、あのことを書いていたのか!」
この感覚ほど、本を読んでいて快感に感じる
ことはない。
読んでなるほど、と思えるのは、
その前段階に、疑問なり、体験があってから。
この疑問、体験には即金性はない。
少なくとも自分の場合においては。
そして、その対象はどんどん先鋭化して
いる気がする。
お金が必要で、かつ欲しいと思っているなら、
なんとも的外れな欲求が募っているとしか
言えない。
根本的に、困っていない、渇望がない。
必死さもないから、脇道にそれる、それる。
ただ、少なくとも、
やることがない、だの、
しんどい、だるい、眠りたいで
事務所に座りっぱなし、
営業車にこもりっぱなし、よりは、
あっちもみて、こっちを見て
している方が、まだいくらもマシ、な気がする。
金にならないことの方が、好きなんですわ。
これまた残念で、申し訳ないけれど、
本性なので、折り合いつけてこ。
お金を稼ぐことが悪というてるわけでは
ないんやから。