小石川養生所いまむかし
『大岡越前』や『赤ひげ』などで、つとに知られる小石川養生所。
貧窮民の救済を目的とした日本初の、病床を併設する無償の診療所でした。
町医者だった小川笙船の目安箱への投書を八代将軍吉宗が取り上げ、1722(享保7)年12月4日(13日という説も)、わずか1年の準備期間で開設、今年で302年を数えます。
その遺構をわずかながら留める小石川植物園に、初春の陽光に誘われ、ふらりと出かけて参りました。
現在この植物園は東京大学の附属施設となっており、正式名称は「東京大学大学院理学系研究科附属植物園」。ちなみに入園料は500円。
まず驚いたのはその広さ。入り口から一番奥まで見渡せるのかと思いきや、そんな箱庭のような施設ではありませんでした(面積は16ヘクタール、東京ドーム3.5個分!)。
そしてアップダウンがすごい(高低差約15メートル)! ほとんどハイキングです。
こういう写真だけ見ると、どこの山道かという感じ。
太郎稲荷(由来不明)。次郎稲荷もあります。
お供えの油揚げとお赤飯は毎日替えている様子。
梅園。春本番を思わせる陽気に、梅もかなりほころんでいました。
1876(明治9)年に建築され、1969(昭和44)年に本郷から移築された東京大学総合研究博物館の小石川分館。
現在は耐震性能不十分のため休館中。
この日本庭園は、五代将軍綱吉が幼少時に住んでいた白山御殿の庭園の姿をとどめているとか。
ついにご対面。小石川養生所の面影を今に伝える、当時使われていた井戸。
1923(大正12)年の関東大震災の際には、避難者の飲料水として役立てられたそうです。
すぐそばの寒桜が満開。
青木昆陽によるサツマイモ栽培の成功をたたえて建てられたもの。養生所の井戸の斜め裏側にあり(石がサツマイモ色なのは偶然?)。
江戸時代の薬園で育てられていた約120種の薬用植物が、今も栽培されているそうです。
そのすぐそばにある売店。
ユニークなメニューや独特のキャッチコピーに心惹かれるも、残念ながら2月中は閉店。
120年の歴史を持つ公開温室(戦災で焼失するも戦後再建)。
昨年12月、13年ぶりに開花したことが話題になったショクダイオオコンニャクも、この温室で育てられていたそうです(開花時は見物客が長蛇の列だったとか)。
閉館の少し前、ふたたび梅園へ。
心なしか、昼間よりさらに開花が進んだような…
とにかく見所満載の植物園。12時半から閉館時刻の4時半まで、約4時間滞在しましたが、いまだ全貌を掴みきれません。季節ごとに印象も異なるでしょうし、ぜひまた訪れてみたいと思います。
上記「呑舟先生はどこだ」において紹介された「現在の養生所跡の井戸」。現在とはいっても1970年当時のもので、今とは違い、屋根や囲いはありません。
なお、映画『赤ひげ』は、小石川養生所が開設されて約100年後という時代設定なので、創設時の話は出てきません。創設エピソードを扱っているのは、テレビドラマの『大岡越前』第1部11話「呑舟先生はどこだ」(1970)と『吉宗評判記 暴れん坊将軍』2話「素晴らしき藪医者」(1978)の2本で、『大岡越前』では小川笙船を思わせる町医者・海野呑舟を志村喬が、『暴れん坊将軍』では、そのものずばりの小川笙船を天知茂が、それぞれ味わい深く演じています。
しかし、いずれのエピソードにも、「小川笙船が目安箱への投書で施薬院(養生所)の設置を上奏し、徳川吉宗がその意を汲んで実現にこぎつけた」という、歴史上の出来事がそのまま描かれていません。『大岡越前』では施薬院は越前の親友・榊原伊織(竹脇無我)が提案、呑舟も伊織の薦めで起用されたことになっており、また『暴れん坊将軍』では、小川笙船が養生所設立の提案をしてはいるものの、その方法は目安箱ではなく、吉宗との非公式な対面の場において、口頭で行われています。
もちろん、1時間ドラマにはもろもろの制約がありますし、どちらの話も、十分面白くできています(特に『大岡越前』で呑舟が「施薬院」の名称に異を唱え、それを踏まえて越前が「養生所」と改名するくだりは見ごたえあり)。ただ、目安箱への一通の投書をきっかけに、わずか1年で設立までこぎつけたというのはまさに信じがたいスピードで、フィクションをはるかに凌ぐインパクトがあるように思います。実際の出来事に即したドラマ化がなされてもいいような気がしました。
さらに余談ですが、『大岡越前』では豪放磊落な医師・海野呑舟を好演した志村喬は、これより5年前の映画『赤ひげ』では、三船敏郎演じる新出去定から多額の診察代を請求され、卑屈な笑顔でネチネチ嫌味を言う豪商・和泉屋徳兵衛を演じています(ワンシーンだけの顔見せ出演)。
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