ELDEN RING / Shadow of the Erdtree 感想部
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神人たちは知らないだろうが、この世界は大盾刺剣の律で出来ている。
メスメルとその部下たちを殴り倒すのは簡単だった。「神の祝福なき者を王とは認めない」、いつもの言い分。いつもの上から目線のデミゴッド。全てまとめて指紋石の盾で弾いてエオニアの朱い造花にしてやった。
指の母も朱色に染めて滅ぼした。『星見』たちを全て片付けたあと、「影の地では星は見えない」という言葉だけが心にちくりとした気がした。彼らが巨人の山嶺、遥かな寒さと高さを知ることは無い。
暴れる竜は面倒だった。秩序なき力。律なき魔力。どうせだからエーゴンと一緒に息を吐いてやったらひっくり返って死んでいた。
狂い火脊椎剣がいた。あの絵面でグロいとか思う前に笑いが出てくるようになったのはあの漫画のせいだ。狂い火そのもののアレさは置いておいて、なんだか攻撃方法がふわっとしてておしゃれに見えた。朱色も足しておいてやるか。
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ミケラは……きっと嘘偽りなく愛の神なのだろう。
確かに「次の千年を約束する」だけの実力と正当性を持った存在であるのだろう。暴力と血に頼らずとも、たった二度ほど囁くだけで、誰しもがミケラに平伏するのだろう。
それは愛ある世界なのだろう。それは汚らしくなった狭間の地に取り戻されるべき律法で、巫女の村を歩いている時に感じた、静かで、それでも温かい世界への憧憬。旧律を超えミケラの全き愛が広げられた大地では、きっと腐敗の花も忌まれる角枝も消えて無くなり、これから生まれる全ての命が差別なく生きられるという神の国。
レダの言うことは正しい、と思う。優しい、とも思う。
きっとミケラに忠誠を誓うことは何も間違いなどではないのだろう。
自分の誤解から始まった奇妙な連帯が終わったその瞬間に、相容れない敵となってしまった者に、「自分が勝手に期待していたのだ」と正直に吐露し、「すまない」とまで言える人間などそういない。こんな正直者に尽くされる人物はきっと幸せ者である。
本来いかに力あれども、ただの褪せた民草の一本である褪せ人が待ったをかけて闘う理由などない。ないのだ。
――――それでも。
自分にとっての▓▓が言った。メリナ、ラニ、その臣下たち、フィア、ハイータ、ネフェリ、セレン、ポック、旅の途中で出会った人たち。心を捨てていたはずのヒューグとローデリカ。敵として戦った、最初の王のおじいさん。……円卓にちょこんと座る、小さな背中のおばあさん。みんなが。
「貴方が王だ」と、言ってくれたから。
――――例え樹は衰え、世界は落葉に至っても。
この意地だけは、裏切りたくない。
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エルデンリングが(NPCイベント周りのガイド不足に反して)「導き」の物語であるのは言うまでもない。
生まれ出ずる神たちは律を見出し、王は神を見出し、人は王を見出すように出来ていて、導きを失った者の心は色褪せ、枯れていく。空の円い星は道標であり、指は運命の方向を指し示す道具である。
王になれとだけ言われて放り出された褪せ人は「人々が導きを必要としている」という状況を漠然と飲み込んでいく。ミケラ派との対決を経てこれが一層鮮明になる。そして、いつしか自分が王になる理由を自らの中に見出し、その時伴侶と共にストーリー上での旅の終わりへと向かう。主観型のRPGとしてここまでバッチリと展開が組まれているのは流石である。
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いや~本当に敵の回避刈りクソムーブの数々で頭がシャカパチになること以外は最高のゲームだ。全部のボスを殴り終えて一旦頭を冷まさないと本当にこういう評価できないよ。
自己投影型のRPGもやっぱり良い。
DD2とエルデンリングを足していい感じにしてくれたら今年は何も言う事は無かったと思う。
好きな展開発表ドラゴンが好きな今年の名作を発表します。Shadow of the Erdtreeです。AC6に続いてエルデンリングでも今季の覇権アニメになるじゃん。「元仲間が相容れない敵同士になる」のすきすきだいすき~。
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全ての者にとっての導きになれる者など、この世に存在し得るのだろうか?
そして、あるいは、マリカとは世界に対する探求を繰り返す巫女だったのかも知れない。
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