和声の学習についての考え。
はじめに。
作曲科の受験において、どこの音大でもほぼ必須とされる和声。
その学習範囲はバロックから古典派、古典派からロマン派までと極めて膨大であり、習得にはある程度まとまった時間が必要です。そのため多くの学生は受験を意識した頃からレッスンを受け、年単位でじっくり学ぶことになります。
私自身も例に漏れず作曲科受験のために和声の勉強を始めた口ですが、学習当初はとても和声に苦手意識があり、赤点続きの状態を抜け出せずにいました。そこから色々と自分なりに学習法を考えたり、和声実施上のコツのようなものに気づいたことで、最終的には入試問題をある程度余裕を持って解く程度のレベルまで習得しましたが、どうも大学時代周りを見渡しても、「自分は和声が得意だ・和声は大好きである」というような人は多くはなかった気がします。総じて和声というのは、感覚を掴むまではどうもわかりにくいものなのかもしれません。
そこで、学習中の方やこれから学習を始めようと思っている方へ、なにか一助になればと思い、自分なりの学習法や簡単な考察をnoteにまとめて公開することにしました。それなりに高いレベルで和声を習得した方にとっては、当たり前のようなことが書いてあると思いますが、いままさに学習の最中で様々な困難に直面している方には、もしかしたら何かのヒントになるかもしれません。気楽に読み物を眺めるような感覚でお読みいただければ幸いです。
和声は譜面上の理論なのか?
和声というのは一般的には音楽理論の一つと思われがちですが、日本で学ばれているフランス式の学習和声は、譜面上での音符のコントロールのみならず、鍵盤上での実施や即興演奏と絡めた実技的な能力の習得も重要だと考えられています。そのため、どちらかといえば理論というよりかは、ピアノやヴァイオリンの演奏などと同様の実技に属するものと考えられます。そう考えると和声は独習が難しいと言われる理由が見えてくるかと思います。ピアノやヴァイオリンのクラシックの演奏の習得が独学では難しいのと同様に、和声の習得も個人単位での指導が基本的には必要です。(もちろん歴史的にもさまざまな例外はあります。)
また、和声の学習において良いとされる連結や声部進行の多くには、ある程度決まった定石がありますが、その多くは教科書には載っていません。実施例は暗にそれを指し示すものではありますが、解説なしでそれを理解することなかなか難しいことだと思われます。それだけに限らず、実施の中から禁則を見つけ出して修正することや、多くの和声連結や転調の可能性から妥当だと思われるものを導き出すこと、さらにそれらの能力を総合的に使い、入試の際に限られた回答時間内に問題を解くことなどを独習で行うのはほとんど不可能といって良いでしょう。
効率良く和声を学ぶには。
さて、では和声の学習を効率よく行うにはどうすれば良いのでしょうか。
結論から言ってしまうと、方法は人それぞれであるので明確な答えはないともいえるかもしれません。しかし、それではこのnoteを書いている意味がなくなってしまうので、自分なりの学習におけるコツのようなものを解説しようと思います。
範例を弾く。
前述の通り、和声の学習は実技の実習に属するものであると考えられます。そのため、和声を単なる譜面上での音符の操作にするのではなく、なるべく鍵盤上での手の感覚と自分の耳の感覚を融合させていく訓練をすることが効果的な学習法として考えられます。
和声の学習というのは外国語の習得のように考えることができるかもしれません。母国語ではない新たな言語を(それも喋ることができるようなレベルで)習得するためには、単語や文法といった要素を教科書を使い理論としてしっかりと学びながら、同時に肉体的なトレーニング、音読やシャドーイングなどを行うことは必須と考えられています。和声を学ぶ際もそれと同様に肉体的なトレーニングを行うことが必要です。そして、それに当たるものが鍵盤での和声課題の範例の演奏であると考えられます。
では、どのぐらい範例を弾き込めば良いのか?
これは、おそらく一般に考えられている以上に弾き込む必要があると考えられます。もしあなたが解き終わった課題を1、2回弾いて確認している程度であれば、絶対的な量が不足している可能性が高いです。語学に例えてみると、文法の問題を解き終えたあと、解答をさらっと確認するだけで次の単元に進むようなものです。
頭で理解することと反射的に反応できるぐらい肉体化が進んでいることとはまったく違います。和声を学習する上で何度も同じミスを繰り返さないようにするためには、わかるから、瞬時にできるに変換しなくてはなりません。
ここで具体的な学習法として私が受験生の時にやっていた方法を解説します。
それは、解き終わった課題の範例を一週間毎日、3回から5回程度、ソプラノやアルトなど各声部を歌いながら、全体を弾くことです。こうすることでソルフェージュ能力の向上にも繋がり一石二鳥です。暗譜することを目的とする必要はまったくありませんが結果として暗譜してしまった、というぐらい弾き込む必要はあるでしょう。上記の方法を行うと、大体一週間後には暗譜しているぐらいにはなります。
余談ですが、日本でいま学ばれているフランス式のエクリチュールと言われる分野(和声や対位法)の書法は、かなり独特なスタイルをしており、実際のバッハ、モーツァルト、ベートーヴェンといった作曲家たちの様式とかなり異なるところがあります。そのためクラシック音楽をかなり聴き込んでいる方でも、課題を解くための感覚や音感をすぐに身につけることは難しいと思われます。独自の言語を習得すると思ってやるしかないですね……。
パターンを分析する。
課題を解き終え、肉体的な反復トレーニングを行うところまできたら、次に範例の中からパターンを分析するようにしてみましょう。
もちろん課題にも様々なパターンがありますし、作者によっても癖があるので一概にこうであるとは言えませんが、非和声音の使い方、転調の方法、課題全体の形式などに注目しながら事細かに分析していくことで、和声法の世界での共通の決まり文句のようなものがわかってきます。
和声覚え書きシリーズと題して、解説の記事も作っていますので、こちらも参考にしてみてください。
こうした肉体化のためのトレーニングと、細密な分析を丹念に行えば誰でもある程度のレベル(少なくとも音大作曲科入試を突破できるぐらい)までは到達すると思います。安心して学習を進めてください。
教材について。
芸大和声シリーズ。
教材としては、一般的によく使われる教科書として「芸大和声」こと「和声 理論と実習」シリーズがあります。多くの作曲科受験生はこの本を主軸として学習していると思われます。私もレッスンの際はこちらの本を使っていますが、いくつか使用において注意が必要だと思われる点があるので、そこについて少し考えてみようと思います。
解説の難しさ。
この教科書はもともと作曲科ではない学生の集団授業のために作られた教科書です(第一巻まえがき)。本来和声の実習では、倍音や音楽史上での様式の変化なども絡めて、丁寧に説明しなければいけません。しかし、この教科書はインスタントに効率良く和声を学ばせるために編集されているため、そういった事細かな解説がありません。そのため、この本だけだと規則や禁則の一つひとつがなぜ存在するのかがわからないという問題があります。
範例の質。
次に挙げられる問題として範例の質にムラがあるという点があります。
この問題は第二巻程度まではそこまで大きくないのですが、第三巻の非和声音の範例あたりから、回答例にムラが出てくるようになります。声部連結がうまくいっていなかったり、非和声音や内部変換の扱いがあまり上手でなかったりします。こうした問題を抱えた範例を参考にしていると、前述の和声の肉体化のためのトレーニングの際、あまり良くない例を身体に落とし込む原因になってしまいます。
では、どのようにすれば良いのか。一番良い解決法は適切な審美眼を持つ先生習い、課題の添削を行ってもらい、添削してもらった回答を弾くことです。範例は和声連結の参考にして、悪い点は真似しないように気をつけましょう。あるいは総合和声(こちらの範例は比較的良いです)の非和声音(転位音)の課題や、この段階からフランス和声の課題を併用することも一つの手として考えられます。
シャランの和声課題
教材として芸大和声をある程度進めた学習者(第三巻の構成音の転位ぐらい)はシャランの和声課題を併用するのが良いと思います。シャランの書いている和声課題にも、スタイル和声のものと、もう少し抽象的な学習和声のための物の二つのシリーズがありますが、ここでは学習和声のための問題集を使うことを想定しています。
シャランの380の課題集
この課題集は、巻ごとに属七、副七、などと単元が分かれており、順を追って学習できるようになっています。構成音の転位ぐらいまで進んだ学習者が、よく9巻と10巻だけを使用するパターンが多いですが、興味のある方は9巻、10巻だけではなく、ぜひ3巻(属七の和音)からそれぞれ、ソプラノとバスの数問ずつ取り組んでみることをお勧めします。
もちろん全部の問題を解いても良いのですが、ものすごく量が多いです。時間に限りのある受験生の場合すべてを解く必要はないと思います。本当は先生にその段階で必要な課題を選んでもらえるとベストかなと思います。
380の課題集は範例の配置や声部進行がとても上手くいっているので、ある程度進んだ学習者が今までの要素の復習をしながら技術力を磨くのに最適な教材です。
シャランの24の課題集
この課題集は、12個ずつのバス課題、ソプラノ課題からなる課題集で、380の課題集を解き終えたぐらいで取り組むとちょうどいいぐらいの難易度の課題集です。
単元ごとにピンポイントで学習する380の課題集と違い、すべてが自由な応用問題となっているためやや難易度は高めですが、その分音楽的にも内容は充実しています。量もそんなに多くないので、すべての問題を解き終わった後はぜひ毎日弾いて暗譜することをお勧めします。
その他、課題について。
ほかにも和声の課題集は色々なものがあります。
フランスのもので有名なものとして、フォーシェ、ギャロン、シャピュイ、デュクロ、最近ではレイノーも有名です。また邦人の課題集として、尾高、野田、川井などの諸先生方による課題集があります。いずれもそれぞれに特色があり、範としている音楽的な価値観も異なるもののように思われます。邦人の問題集の中には藝大や桐朋などの過去問と、その範例も収録されているため過去問演習を行いたい方は邦人の本を買うと良いかもしれません。
余談ですが、私はほとんど過去問を解かずに(2、3題程度)入試に挑みました。藝大和声の三巻までとシャランの380から120題ぐらい、ほか24の課題集を一通り終え、フォーシェやギャロンの問題を解いている状態でした。それでも問題なく入試問題は解けたので、過去問にはそこまでこだわり過ぎなくても良いように思えます。本質的な実力をつけることが入試突破の一番の鍵だと思います。
まとめ
以上、色々と和声についてこれまでに考えてきたことを書いてみました。
学習に関する基本的な方法としては、範例を1週間歌い弾きするといった肉体的なアプローチと、非和声音の使い方や転調の手法などを細密に分析するというような理論的なアプローチの二つを並行して行うことだと思います。和声を何か学問のようなものと捉えて頭でっかちに勉強するというより、何か新しい道具の使い方をマスターする、例えれば自転車に乗れるようになる程度のものだと思って継続的に勉強してみることをお勧めします。継続が上達の一番の近道です。
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