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イタリア未来派 マリネッティとコロナウィルス
近代芸術の一端を担い、先進的な試みをやりまくったマリネッティですが、あまりに過激すぎる彼の行動を最近ふと思い返します。
注※ 別に私はマリネッティの思想の過激な部分は支持していません。
ざっくりマリネッティについてはこちら
戦争は時代を変化させる最大の契機とみなし、自ら将軍となり他国に攻め入って破壊を行ったマリネッティ。そんな彼は戦争にはテクノロジーが凝縮されており、破壊は美しいものだと語っていました。
現在流行しているコロナウィルスですが、多くの人が自宅に謹慎して従来の活動が行えず、その代わりにテクノロジーに無関心だった方々でも、テレワークなどテクノロジーを活用して経済活動を維持させようと試みている姿が多く見受けられます。アフターコロナと称して新しい社会の形ができるのではないかと、大きな不安の中に期待が入り混じっている方も少なくないのではないでしょうか。そんな時に思い出したのが、”戦争”を時代の転換期と捉えたマリネッティでした。
この度は、人と人とが争う”戦争”とは違い、人と自然が争う”疫病”なので、同じとは言えませんが、重複する部分も多くあるように思います。この疫病が”古い社会の浄化”と言ってしまうと過激すぎますし、苦しんでいる人々を思うと堂々と主張することなどできません。しかし、テクノロジーがよりいっそう一般化している契機となっていると思います。
テクノロジーは社会を物理的に変え、その中で生きる人の思想も自然と変えていく思います。人の心は古代から変わっていないと私は思っていますが、心を受けとめる思想という器は時代と共に変化するはずです。
器作りは、陶芸家が行っているように破壊と創造と自然の芸術です。