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真に自分を活かす道はどこにあるのか

皆さんこんにちは。能力再生相談所、内匠です。

本のつまみ食い中・・・1冊の本を読み込むのではなくて、数冊の本を日替わりで少しづつ読んでいます。これは複数回読む前提でこんな読み方してるわけなんですが、やっぱり最近集中力が落ちたせいでもありますかね。できることなら1冊の本を集中して一気に読み切りたいのですが、速読ができないために苦肉の策でやっています。

それはさておき、今日は天外伺朗著『運命の法則』の「満足感の法則」から一部引用します。以下になります。

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頭の満足というのは…中略…つまり、理性(頭)で考えて、「こうありたい」という思いが実現されたときの満足感だ。外発的報酬を追い求め、金持ちになった…中略…などの満足感がそれに相当する。一般的に満足感というと、これを指すことが多い。

ところがこの満足感は、あくまで外部からの評価の目を意識した満足感であり、極めて表面的なのが特徴だ。したがって、目標を達成したとたんに「燃え尽き症候群」に陥ってしまうことが多い。

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私が思うに最後の燃え尽き症候群になる可能性というところは、他者評価が自分の評価と大きく乖離した(しかも低い)ときにも発生するのではないかなと思います。

普段意識していないけれど、こうして文章で読むと、他人の評価だけで自分の実績が左右されてしまうということは実にもったいない、そう感じます。

そしてもっと言うならば、他人の評価がいいというのは仮に身近な人10人すべてが良いと言ってくれたとしても、自分の知らない別の10人はあなたの仕事ぶりの評価は低いかもしれません。

となればそのような不安定な評価軸にすがるのはあまり意味がないと言えるかもしれません。

そしてまた、自分が良かれと思ってやったことが結果的にその人には良いことにならないことが起きることもあれば、特に他人のためにどうこうと思ってやっていなくても結果として人の役に立つことだってあります。

そうとすると、他人の「良い評価」を求めて何事かを成すよりは、自分が心からこれをやりたいと思うことに収集して取り組む方が結果的には継続的に自分が満足するし、そのネタは尽きることがない、そんな風に思います。

私も、今それを目指しています。願わくばそれが形にできる日が一日も早くできたらと思っています。

それではちょっとまとまりつきませんが本日も雑文、ご一読ありがとうございました。

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