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この世界の片隅に

漢熊谷、バクテリアに身体をやられました。
飯はほとんど喉を通らないので、お腹が空っぽなのにも関わらず吐き気と慢性的な腹痛、あれ?ここ地球だっけ?と思うほどの体の重さ、重力を全身でビリビリ感じております。

前のnoteにも体調崩したって書いたんですが、あれは前触れだったのでしょうか。治ったと思ってからぶり返すの一番やめてほしいよね。

いやーしんどいっす。病気の何がしんどいかって体だけじゃなくてメンタルもやられることですよね。

発症したのは昨日の夜で、3,4回くらい腹痛feat.下痢に叩き起こされ、トイレは外なのでドアを開けて出るとまぁ寒い。体が震える。あぁこれ熱あるわと思いながら用を足してベットに戻る。またお腹痛くて起きる...

そんな中ベッドに横になって思い浮かぶのは、俺何やってんだろう...という気持ち。わざわざ日本からケニアでも辺境中の辺境に来て体調をおもくそ壊している

皮肉なのがそんな場所でも電波は通じて、インスタやツイッターを開けば今まで自分が過ごしていた生活を何気なく覗けるということ。カラオケに行く友人たち、居酒屋で楽しそうに乾杯する人たち、テーマパークで遊んだり、大学の中で楽しそうにするみんな。

あぁ俺、今までここにいたんだ。
なんだかすごく遠く感じるなぁと、病床に臥して、距離も含めたいろいろな意味での遠さを思い知ります。

きっと自分が日本にいたときは、こっちの生活が遠く感じていた。でもいざ自分がこっちに来ると、日本の生活が異様に遠く感じる。そういう意味では、今まで国際協力国際協力自分の頭にありつつも、葬式で母を失い泣く子どもや、皮膚がひどく爛れて小さな診療所で治してくれるかもわからない列を待つ子どもは、自分にとって遠いものだったかもしれない。

でも、僕は今その遠かったものの中にいる。
全部現実で、でもそれまで自分が楽しくカラオケやら居酒屋やらを楽しんできたのだって現実だ。なんだか、分からなくなりました。今僕がいるこの生活は同じ地球上で起こっていることなのか。インスタの中の生活は、今まで自分が享受してきたものなのか。この2つは、同じ自分が生きてきたものなのか。

世の中って残酷に回ってるなぁ、と少しだけ思う。きっとこっちの人は、普通に生きていたら僕たちの生活を知る由もないだろうし、それは僕たちの方もきっとそう。そうやって回ってきた世界なんだと思う。格差はあるけど、基本的にはお互いに無関心で生きていられる世界。目の前の生活に飲み込まれて、自分の生きている世界の片隅のことなんて気にしてたら生きていけない。きっとみんなそうなんだと思う。自分の生きる世界でいっぱいいっぱい。じゃあ自分は、なんでここにいるんだろう...

その間に挟まれて、なんなんだろうなーと考えてしまったバクテリア病人でした。なんでかって聞かれたら、それが自分のやりたいことだからだと思う。

苦しいときに思い浮かぶのは楽しかったときの思い出。大学で何気なく過ごした楽しい時間。友達と行ったドライブ。サークルで泊まった山梨旅行。やっぱりどれだけ遠くても、この世界の片隅同士で繋がっているもんですね。自分は確かにあそこにいて、今ここにいる自分も自分自身。そんな当たり前のことに安心してしまいます。

腹痛と体の痛みでなかなか寝付けず、哲学モードに入ってつらつら何気なく書いてしまいました。明日になったら治ってますように。

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熊谷拓己
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