見出し画像

親の心子知らず

なんだかんだバクテリアを引きずり三日目。
三日目ともなると引きずりすぎて削れてなくなってきました。明日こそ本調子!なはず...

ここで病気にかかってわかったことは心の支えになるものがほとんどないことですね。マジでメンタルまでやられてました。どんなふうにかって言うと日本がひたすらに恋しくなるんですね。

いやお前トルコいたときも日本日本うるさかったやろって思う人もいるかもしれないんですが、今回に関してはトルコも恋しかったですよ。多分僕は思い出を大事にとっておきすぎなのかなぁ〜とか思ったり。

バリバリバクテリア盛りのときに僕の入っていた学生団体のOBOG会があるもんだから、色々恋しくなっちゃうじゃないですか。この写真見て懐かしさノンストップでしたもん。

山梨旅行行ったときの。溢れ出る青春

そんな中でも嬉しかったというか心の支えになったのが大丈夫かと声をかけてくれるみなさん。ほんとにこういうところにいると、ちょっとした一声が心の良薬ですね。多分途上国農村部で活動する人に甘い声かけたらコロッといてまうと思います。狙い目ですよ。みなさん。

話変わるんですけど、今日(12/02)僕の母の誕生日だったんですね。おめでとーってラインだけしました。楽しく生きてくださいと一言添えて。

今まで考えたことなかったけど、母の気持ちはいかがなものなんでしょう。20数年間育ててきた子どもがケニアに行ってなんだかんだやってるのを見守る気持ちというのは。

大学が静岡に決まって、地元を離れたとき、ずっと仲の良い友達と母・妹で見送りに来てくれた。友達は橋本環奈の写真集持ってきた。いや嬉しかったなあれ。あのとき、母の気持ちはどんなもんだったのかな。橋本環奈の写真集を脇に抱えて新幹線にスーツケース持って乗り込む息子をどんな目で見つめていたのかな。

僕はというと正直泣きそうになってたのを覚えてます。どんな目で見送ってくれる四人を見つめていたかって、なんとか涙こらえて窓にほっぺ押し付けておどけてみたりしてました。窓汚かったねごめんね。JR東日本。

名前を考えてくれたときのこと、初めて2本の足で立ったときのこと、幼稚園に入ったときのこと、小学校、中学校、高校そして大学...親はきっと、全部ちゃんと覚えているんだろうなぁなんて考えたり。

お母さん、よちよち歩きの子どもだった小さな男の子が、新幹線に乗って遠く離れた街に移り住むときはどんな気持ちでしたか。

お母さん、コナンくんの蝶ネクタイが欲しいから作ってとおねだりした小さな子が、初めて飛行機に乗り異国の地に向かうときはどんな気持ちでしたか。

人の気持ちを考えるって、いいもんですね。勝手な推測かもしれないけど、相手が思いやってくれた心を汲み取れる気がします。

大丈夫かと声をかけてくれたみなさん。きっと同じような経験をしたから気にかけてくれたり、みなさんの中で僕は、思いやりたい存在になっていたのかなと勝手に思って幸せな気持ちになっています。ありがとう。

自分のいないところでも、世界は回っている。たくさんの人が何を思って何をしているかなんてわからないけど、きっとこうなんだろうなって思って勝手に幸せになるくらいの贅沢を楽しむ。娯楽がないから幸せになれることもある。

とはいえ、親の気持ちは自分が親になるまではきっとわからないんだろうなぁ。自分の子どもがケニア行きたいとか言い出したらどうしよう。笑顔で見送れるくらいには大人になっていたいけど。

そう考えると、とても強い人だったんですね。僕の両親は。親の心子知らず。でもそれは、子が親になったとき終わって、また始まるものなのかもしれません。

僕も親の心知らぬ子を笑顔で見送れるほど、強くなれるでしょうか。早すぎる懸念。まず結婚できるのかな...

何気ない幸せを見つけた夜でした。

いいなと思ったら応援しよう!

熊谷拓己
サポート代金は取材のための移動費・活動費に充てさせて頂きます!少しでも僕の記事がもっと読みたい!と思ったら、サポートしていただけると嬉しいです!