わたしと「推し」とオオルリ(小説)
山登りが好きな人は「そこに山があるから」登るというが、鳥はどこにいるのか探すところから始まる。
でも探せば意外と色んなところにいるのが、鳥という生き物だ。
露村果鈴にとって、鳥を観る、といえばどちらかといえば河だった。
河はいい。シギやチドリが干潟で遊びミサゴが悠々と飛ぶ。一日中いても飽きない。
だが2020年の7月、大学院1年の彼女が母親の車に姪っ子を乗せ、朝から向かっていたのは、実家のすぐ近くにある史跡公園だった。
公園、と言っても田舎の史跡公園は石垣がちょっと残ってればいい方で、ほぼ山である。
入り口の石垣広場からしばらく進むと、四季の花が咲き、近くを流れる渓流沿いの道に続くハイキングコースがあり、この時期でも夏鳥がたくさん見られる。
「碧嶋ルリってさ、本名なのかな」
果鈴の姪、杏ちゃんは、後部座席で乳酸菌飲料を飲みながら、カーステレオで聞いているCDのジャケット(碧嶋ルリのファーストアルバム)を眺めていた。
「目が青い女の子だからルリ、って、そんなマンガのキャラみたいな名前つけないでしょ」
「『自分の目の青さがコンプレックスで、それを肯定したくて自分でその芸名をつけた』って前にラジオで言ってたよ」
碧嶋ルリは2018年に彗星の如く現れた、青い目にロングの黒髪が特徴のアイドルだ。容姿端麗なだけでなく、ネットラジオでのトークが面白いと話題になり、最近メディア露出が増えている。
「こんぷれっくす?」
「ああ...…人と違って嫌だなって思うってこと。日本人には珍しいけど、ルリのお父さんとお母さんも生まれつき目の色が薄くて青っぽいんだって」
「ふうん...…」
「あとオオルリが好きでそれにちなんでつけたって聞いたこともある。この曲、『青い鳥になりたい』がデビュー曲だし」
「へー、そうなんだ! わたしもオオルリ好き。今日もいるといいなあ、オオルリ」
杏ちゃんは小学5年生にして、バードウォッチング歴は果鈴とそんなに変わらない。毎週末、父親(果鈴の兄)の運転で公園に繰り出し、鳥を観ているという。
「オオルリのどういうとこが好き?」
「羽の色が綺麗だし、鳴き声も綺麗なとこ!」
「見れるといいね」
杏ちゃんが好きなオオルリは青と黒の羽が美しい夏鳥で、渓流沿いの林に生息している。美しい囀りもあいまって鳥好きの間でも人気の鳥だ。
今日はギックリ腰の兄に代わり、たまたま実家に帰っていた果鈴が運転手兼付き添いの役を仰せつかった。コロナが大流行している中、バイトも休業、就活もオンライン説明会を聞くくらいで、外に出る機会がなかった。
オオルリという名前が出ただけで目を輝かせていた杏ちゃんが、ふと真顔になった。
「果鈴ちゃんはさ、碧嶋ルリが『推し』なの?」
「え、ああ、うーん」
「なんかさ、クラスの子がみんな『わたしの推しは〜』っていってて楽しそうでさ。果鈴ちゃんも鳥と、碧嶋ルリの話してる時は楽しそうじゃん」
「推しってそんなに広まってる言葉なんだ...…推しですか? って言われるとなあ。握手会のためにCD何枚も買ってとか、そういうことはしないし、自分が楽しめる範囲で観させていただいてますというか...…」
「...…? よくわかんない」
そんなことを話しているうちに公園に着いた。「ここは日が昇っても影だから車内暑くならないよ」とこの公園のプロに言われた場所に車を停め、車を降り、ハイキングコースに向かって歩き出す。
「♪青い鳥はやみくもに探したって見つからないの、あなたの中の声に耳を澄ませて」
杏ちゃんはさっきまで聞いていた曲を口ずさみながら、チャキチャキと林の中を進んでいく。
林の中は、賑やかな鳥の気配に満ちていた。
木々の間を忙しなく動く数羽のメジロ(注1)、1羽でも賑やかなヒヨドリ(注2)。コゲラ(注3)のドラミングなんかも聞こえる。
さえずり、地鳴き、警戒音、羽音、たまに虫の羽音。針葉樹の中からは、鈴を転がしたようなカワラヒワ(注4)の声が聞こえる。木の中から飛び出してきたのはシジュウカラ(注5)だろうか。
ほぼ山とはいえ、公園だからと過小評価してた。
果鈴は立ち止まってぼんやり鳥の声を聞く。自分の四方から、鳥の気配を感じる。それだけで言葉にならない充足感を感じていた。
先をずんずん歩いていた杏ちゃんが、怪訝そうな顔で振り返る。
「どしたの?」
「いや、鳥の声をこんなに浴びるの久々だと思って……バードウォッチングの会もコロナで長いことやってなくて、近所の河原で鳥を探すので精一杯だったし。胸がいっぱい……」
「大袈裟すぎ。それにまだここは明るいから全然だよ。奥のほうが暗くて、沢があるから鳥も多いよ」
プロの言葉通り、ハイキングコースはしばらく進むと鬱蒼とした林に変わっていった。木の葉は青々と生い茂り、鳥の姿を見つけるのも容易ではない。足元も、湿った落ち葉が多くて少し歩きにくい。
頭上からは相変わらず数多の鳥の鳴き声が聞こえる。杏ちゃんは鳴き声を聞いてすぐ、「あそこにいるよ、ほら」などと指さす。さながら達人だ、と果鈴は思った。
「ホイホイホイ、って鳴いてるのはサンコウチョウかな」
「あ、あそこ……ああ飛んでっちゃった。すばしっこいなホイホイ鳥は」
「ホイホイ鳥……」
「『ツキヒホシ、ホイホイホイ』って鳴くから三光鳥っていうけど、『ツキヒホシ』聞き取れたことないから、ホイホイ鳥でいいじゃん」
「なんかカッコ悪いなその名前」
「……って北条李がTwitterで言ってた」
「ああ、あの野鳥好きの作家先生……」
「サンコウチョウもいるんだねここ、珍しい……」
「たまにオオルリが鳴きマネしてることあるから、さっきもひょっとしたらそうかも」
「オオルリの鳴き真似……!」
「ここのオオルリ、色々マネしてるよ。だからややこしい」
そう言っていた杏ちゃんがふと、足を止める。
「あれ、今オオルリ鳴いたんじゃない?」
「? ほんと?」
果鈴も聞こえてくる鳴き声に耳を澄ます。確かに澄んだ、高い音色が聞こえる。
オオルリは「ピールーリー」と鳴くんだっけ。声の感じは似てるけどな、と思いつつあたりを探す。オオルリが鳴くのは、木のてっぺんなど、高くて目立つ場所のはずだが……
「あ、飛んでっちゃったかも」
「見つけた?」
「さっきまであの枯れ木の上にいたのがそうかも。見つけたのがおそかった……」
杏ちゃんはしょんぼりした様子でそう言った。
♪ ♪ ♪
渓流沿いの道を歩くと、少し開けた場所に出た。眼下に渓流が見えるその場所には木製のベンチが置いてある。ハイキング客向けの休憩場所という感じだ。
果鈴はちょっと休もうか、と杏ちゃんに声をかけ、ベンチに腰掛けた。2人分の水筒を取り出し、塩飴を一つ渡す。彼女はレトロな花柄の水筒から麦茶を飲みながら、ぼんやり空を眺めてーーいや、空ではなくて、木のてっぺんに鳥の影がないかを探しているようだ。
「会いたいなあと思うとなかなか会えないんだよね、オオルリって」
それが人生……という杏ちゃんに、果鈴は腕を組んでうんうんと頷いた。
「本当にそう。欲を出すと何もうまくいかない。行きたいライブほどチケットはご用意されないし、絶対このキャラ欲しいと思って引いたガチャは当たらない」
「……後半はあんまりわからなかったけど」
鳥の声ばかりに気を取られていたが、ここにいると渓流の水音がはっきり聞こえる。日が高くなってきたので、蝉の声がうるさくなってきた。遠くでトンビがピーヒョロと鳴く声(これは鳥の声だ)。
「……そういや、車の中で果鈴ちゃんが言ってたこと」
「ん?」
「碧嶋ルリは推しかって言われたらわからないって話。あれってどういうことなの?」
「え、ああ……」
果鈴は言葉に詰まった。遠くにいたトンビはいつのまにか真上を飛んでいた。杏ちゃんは思いの外真剣な表情だ。
「……その前に、杏ちゃんが思う『推し』っていうのはどういう感じ?」
「うーん、好きってだけじゃなくて、盛り上がれるってことかなあ。みんな『推し』の話で盛り上がって楽しそうだから。」
「じゃあ杏ちゃんにとってはオオルリが推しだよ。オオルリの鳴き声が聞こえたら、テンション上がるでしょ?」
その言葉に杏ちゃんも腕組みをした。
「うーん、でも友達は、『お風呂に入ってる時もずっと推しのこと考えてる』って言ってるけど、そんなことはないかな。公園で鳴き声を聞いたり姿を見たらうわーっとはなるけど」
「でも『推しに会うと次の日頑張る勇気がもらえる』っていうのは、そうかも。オオルリに会えたらその日一日はずっとうれしいし...…」
悩んだ末、「うーん、わかんない!」と言って麦茶をぐびっと飲んだ。
「そう、その考え方が大事だって話。『推し』って言うのはなんか違うなと思うなら、無理にその言葉に乗っからなくてもいい。碧嶋ルリに関しては、好きになってまだ半年くらいで、まだ彼女のことを知ってる最中なの。だからまだ保留って感じかな」
うまく伝わったかしら、と果鈴は姪っ子の顔を伺った。彼女はまだ「うーん」と何か考えているようだった。
「碧嶋ルリについては推しかどうかわかんない、って話だけど、推しだってはっきり思ってる人は他にいるの?」
「人じゃないけど、ミサゴはわたしの推しだってはっきり判るね。ほら、見てこの写真。めちゃ美しくない?」
「うわー、すごい!」
今度は果鈴がいつも鳥を見ている河原を案内する、という約束をして、2人はベンチから立ち上がって歩き出した。
🕊️ 🕊️ 🕊️
帰り道は、あまり鳥が見やすい場所がないらしく、杏ちゃんは行きの倍くらいのスピードでさっさと道を進む。沢の近くは足元がしっとりしていて、歩きにくい。
「その辺、前にお父さんがヒルにかまれてたから気をつけて」
「ひい」
姿は見えないが、鳥の鳴き声が聞こえないわけではない。それが逆にもどかしい。
「さっきの、またホイホイ鳥だったかも」
「あー……でも姿は全然見えなかったね」
時刻は午前11時前。来た時よりも蝉の声が大きくなり、鳴き声で鳥を探すのも難しくなる。それに気温もどんどん上がってくる。
「...…ここは、ちょっと開けてて見やすいかも。オオルリもよく来るし」
公園の外周を一周するハイキングコースの終わりかけ、杏ちゃんは足を止めた。傍に小川が流れているそこを過ぎればあとは下り坂で、木の上で鳴く鳥は探しづらい。
それにしても暑い。果鈴は小川にふらふらと近づき、手をつけてみる。
「これ、さっきの川の支流だと思ったけど、湧水だよ。ほら、冷たい」
「ほんと?」
杏ちゃんも側にやってきて、水に手をつける。「ほんとだ、冷たい」と歓声を上げる。しゃがみ込んだ姿勢のまま、2人で真横の林を見上げる。
「この姿勢で鳥を探すのは初めてかも」
「下から見上げると見えるところが変わるね」
「...…あそこに見えるのって、葉っぱかな。手前の枝の、黒っぽいやつ」
「いや、動いてるね。オオルリじゃない?」
2人は顔を見合わせ、無言で双眼鏡を取り出して構える。双眼鏡で見ると青と黒、腹の白い羽ののコントラストがはっきりわかる。オオルリだ。
オオルリはしゃがみ込んでいる2人に気づいていないかのように、ぴょこぴょこと枝の間を移動していた。
そして、梢の先に止まると、おもむろに澄んだ声で歌い始めた。2人は息を潜めたまま、青い小鳥を見守った。
普段聞くオオルリよりも、のんびりした調子で、高い音から始まってゆっくり下がっていく複雑なメロディは見事だ。同じオオルリでも、行きに聞こえた鳴き声とはかなり違う。違う個体だろうか。
ひとしきり鳴いたあと、青い小鳥はどこかに飛び去って行った。
「...…見たいって思ってない時に限って、来るもんだね」
しばらくの沈黙ののち、果鈴は口を開いた。蝉の声が再び聞こえ始めた林は、さっきまでオオルリが目の前で長いこと鳴いていたのが嘘みたいに、いつも通りだ。
隣にいる姪に目をやると、半ば呆然とした様子で、彼女が大好きな、瑠璃色の鳥が去った後の梢をじっと見つめていた。
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オオルリは出会ったことがある3-4回くらいなのにめちゃ擦って申し訳ないな...…
次回は「緑」と「鳥」をテーマにした作品を8月に投稿予定です(とらつぐみ・鵺)