これまで「noteを書けなかった理由」と、これから「noteを書くことにした理由」
これまで友人/知人の投稿を読むだけだったnoteを、初めて書いてみることにしました。今後は最低でも月に1度は投稿していこうと思います。(言わないとやらないので。)
今回は、これまで「noteを書けなかった理由」と、これから「noteを書くことにした理由」について書いてみます。特に伝えたいのは「書くことにした理由」なので、「書けなかった理由」は読み飛ばしても大丈夫です。笑
「noteを書けなかった理由」
これまで、アウトプットに対する心理的なハードルが高くて、なかなかnoteを書くことができませんでした。いくつかの考え得る理由の中で最も大きいのは、ぼくに染み付いた「納品主義(一度で完璧な情報を伝えようとする姿勢)」的なマインドだと思います。
会社員時代、新卒2年目になったタイミングでベテランしかいない部署に異動となり、退職するまでの約3年間、ひと回り、ふた回り、年次が上の同僚と仕事をしていました。そんな環境で、同僚にも取引先にも「自分の価値を証明しなければ」という焦りがあり、等身大の自分よりも“デキるやつ”を演じることに躍起になっていました。寝る間も惜しんで自分が思う完璧なアウトプットにこだわり、「誰にもケチがつけられない、圧倒的な仕事をしてやる…!」と気づくといつも歯を食いしばっていました。その結果、ある程度“デキるやつ”が板に付いたものの、本質は依然として“評価に臆病なやつ”のままでした。
仲間たちとPORTO(日替わり店長のソーシャルバー)を運営していく中で、「関わり余地」や「議論の余地」といった、ある種の“不完全さ”を大切にするようになりましたが、今でもコアなアイデアを発信するときなどは、必要以上に時間をかけて“完璧な“アウトプットを追求してしまいます。そんな他者からの評価を恐れるがゆえの「納品主義」がnoteを書く心理的ハードルになっていました。
「noteを書くことにした理由」
そして、ここからが「noteを書くことにした理由」です。(こっちが話したかったこと。笑)
結論からお伝えすると、ぼくに関心を持ってくれる人との「時間/コミュニケーション/つながり」を大切にしたいと思い、noteを書くことにしました。そう思ったきっかけは、PORTOの1日店長もしてくれている、みきさんが書いたnoteです。note書きたくて書けていないという人はぜひ1度読んでみてください!
このnoteでぼくの心を打ったのが、次の文章。
"見えない友人たちに向けて一方的にこうやって書き続けることで、今後の人生で1回でも会う機会が増えたり、久しぶりに会ったときに互いの興味の合う話題から話を始めて時間を有効活用できたりするとしたら、出し惜しみをしている場合ではない。"
みきさんのnoteを読んで、ぼくはある日のことを思い出しました。それは、大学のゼミ同期での卒業旅行、最終日。チェックアウトの前に入った大浴場でのこと。これから別々の会社に入社したら、在学中は毎日のように顔を合わせていた友人とも、約束しないと会えなくなるのか、と悶々と考え始めて、「もしも、この後の人生で、その人と会える回数が分かるとしたら…。」と妄想することで、今まで抱いていた「人間関係」のイメージが大きく変わりました。
それまで、「人間関係」というと、人と人をつなぐ「線」のようなイメージだけを持っていたのですが、それぞれが歩む人生という「線」が、たまたまコミュニケーションを取る時にだけ交わる「点」が「人間関係」である、という捉え方もできるのではないかと思いました。
そして、それぞれの人生と人生の「交点」の数は、お互いの意思によってコントロールできる「変数」ではあるものの、どちらかが生涯を終えた時には数の答え合わせができる「実数」なのだ。そんな当たり前のことに気づいて、これから人とたまたま会ったり、話したりできる「交点」を大切にしようと、ひとり湯船に浸かりながら思いました。
ぼくがnoteを書くことで、友人/知人との「交点」が増え、その人との大切な「交点」が少しでも充実したものになるのであれば、自分のアウトプットの“完璧さ”なんて、本当に些末なことだなと。
というわけで、これからみなさんとの「交点」のためにnote更新していこうと思うので、noteをきっかけに嶋田を思い出してくれた方が連絡くれたり、PORTOに遊びに来てくれたら嬉しいです!
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