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坂本一成の建築研究①アンヴィバレントな葛藤の中で     

※記事の修正は随時行なう予定です。現在も第1回を受けて何点か誤読がみられたため、適宜修正をおこなっております。

この研究会について

本研究会は、研究室や学年の垣根を越えて学部生から大学院生までの東工大の学生から成る自主的な勉強会である。元々は弊学において近年、読書会という文化が失われていることを問題視し、先輩方と2年ほぼ前から読書会を時折行っていた事がきっかけである。そうした読書会の文化を引き継いでいきたいという思いから、今回主催することとなった。

形式としては、毎回プレゼンターが要約と論点を準備し、参加者と議論していく形をとる。参加者は勿論、書籍の該当範囲はを読了することが理想的ではあるが、読んでいなくてもある程度、議論ができるように必要箇所の引用をまとめておく。

本稿は事前のレジュメ替わりに書いたものであり、議論された事柄に関しては別途記載予定。

ところで何故、今坂本一成なのか?その答えとしては、第一に我々が所属する東工大における研究活動にとって坂本一成の仕事への理解は必要不可欠なものである一方で、精読してる者が少なくはないということが挙げられる。

第二に、坂本一成の禁欲的とも言える姿勢の中で、思考の形式として建築を探求している姿は、建築そのものが発散し、建築そのものについて問われにくくなった時代に生きる我々にとって大変新鮮なものになると考えたからである。

一方で、建築とは何か?という問題そのものにもはや意味がなくなってきているのかもしれないし、大変時代錯誤な試みなのかもしれない。しかし、我々がアーキテクツであろうとする限り、先人たちが実体としての建築を作り上げてきた背景にはそうした命題の中で葛藤してきた思考があることは決して忘れてはいけないことではないだろうか?

今回扱うテキストと作品について

第一回に当たる今回は、いわゆる〈閉じた箱〉から〈家型〉というコンセプトが掲げてられた範囲を扱う。具体的には坂本一成が篠原研在籍時の処女作である散田の家(1969)から1978年の南湖の家、坂田山附の家、今宿の家を扱う。なお散田の共同住宅(1980)と祖師谷の家(1981)は〈家型〉に属すると言えるが、大衆消費社会におけるイメージを問題にし始め、やがて自由な架構へと移り変わる過渡期として第二回で扱うこととする。

該当するテキストに関しては、以下の図表を参考にしていただきたい。

各回でのテキストと作品の該当範囲


建築とは何か?という問い

彼のテキストを読んでいくにあたって、メタレベルでの〈建築〉が語られていることを念頭に置かねばならない。

一般的に、フランスにおける五月革命、中国の文化大革命、東欧のプラハの春、日本における学生運動、それらが起こった1968年を期にモダニズムが崩壊したとされる。それまで画一的な価値基準が担保されていた存在が失われたことで、建築とは何か?という問いが浮上した。日本においてその問題に対して初めてメタレベルでの建築を語ったのは、磯崎新と篠原一男だろう。磯崎はいわゆる〈建物〉と異なるメタレベルの存在として〈建築〉を分けて語り、一方で篠原は磯崎と異なり非常に内省的な問題として扱ったが、彼のいう〈私の建築〉とは磯崎同様にメタレベルで建築を取り上げた。

〈建築〉そのものをそのまま思考することはできないが、範囲を限定してその中で〈建築〉を考えることはできる。それゆえ建築というものを成立させている特定の思考(磯崎新にとっては手法であった)を束ね、それによって実体(あるいはテキストかもしれないが)を作り出していくという過程の最中で建築を考えることができると言える。

一方でこの所作は、常に「建築は建築である」というトートロジーに陥りかねないことから、繊細な議論を要していた。

その中で、坂本一成も篠原の元で学んだことからも無論、その設計活動の根幹は常に〈建築〉への追求であった。

建築は多くを社会的な意味で成立しているのかもしれない。もしそうなら、私にとって建築自体を消さねばならぬことになるかも知れない。しかしまた、もし歴史的に成立させた文化や日常的通年から独立したアプリオリな領域が建築にあるなら、その社会的な意味を消すこと、あるいは拒否することにより、前面にその領域が現れることを期待していることになる。そのような領域が仮にあるなら、そのことを〈建築性〉と呼ぼう。そして私にとってはそのような領域があると思い望まざるを得ないし、またそう考えるなら、言葉の向こうの世界であろうと思われてならない。

坂本一成『坂本一成 住宅-日常の詩学』p56

以上のように、メタレベルでの建築を〈建築性〉と称して、それを追い求めている様が読み取れ、多木浩二も坂本一成に関して次のように述べている。

多木-坂本さんの追求してきたのは、建築というものが、それ自体として備えている思考の形式なのかもしれない。次のように言い換えてもいい。都市なり、社会なりのなかで立ち上がっていく建築は、もちろん建築家の思考と実践によってでき上がるのだが、都市なり、社会なりとの関係も含めて、みずからを成立させている空間的、物質的、意味論的な仕組みを内在している―そのような仕組みを抽象的な概念として「建築の思考」と言うなら、彼が探求してきたのはそうした思考ではないのか。

坂本一成・多木浩二『対話・建築の思考』p10

日常と非日常

彼の書籍には『日常の詩学』という題がつけられているが、ここでの日常とは何か?そして篠原一男との関係について考えていきたい。

はじめに多木浩二は篠原一男と坂本一成に関して次のように指摘している。

 多木-表現的な建築家、表現主義的なというかもしれませんが、多くの建築家は、非日常性を強調してきた。けれども、日常性対非日常性という対立ではないところに、坂本さんの独特の主題があります。あるいは篠原さんの場合は、そうしたあきらかな非日常性を、日常性のなかに持ち込むのです。
 しかし、篠原、坂本の違いは、日常性対非日常性のもうひとつ上で見なければなりませんね。篠原さんの場合には、建築というのは芸術です。坂本さんの場合には、フランス語の意味におけるモラリストとしての精神性ともいうべきものを感じる。日常性のなかに非日常性を見いだし、それをもう一度、日常性に嵌め込んでいく、そんなやり方です。

坂本一成・多木浩二『対話・建築の思考』p32

また、後に坂本一成自身、次のように述べている。

現実と非現実は、また日常と非日常は、対立し矛盾するわけです。ですから非日常的なもののあり方、非現実的なもののなかに、自由な、豊かな、軽々とした、広々とした空間をつくることはできません。しかしそこで、日常を超えながら現実を引き受け、非現実化・非日常化しないで、現実や日常と連続したもうひとつの現実・日常がありうるのではないか。もうひとつの現実、もうひとつの日常は、現実・日常と連続しつつ、それと対立するイメージや構想、あるいはテーマや概念、それを実体化する構成や形式との拮抗、そのせめぎ合いのなかにあるのではないか。つまり、先ほど述べたコンセプトが実体としての建築を構成するわけですが、それと現実の日常的なもののあり方とが拮抗したところに、新たな空間や環境、そして場所があるのではないかということです。

坂本一成『建築に内在する言葉』p14

以上を踏まえて図式化するとつぎのようになる。

各々の日常と非日常の取り扱い

すなわち『日常の詩学』とは日常から詩学、或いはレトリックによって、日常からズレたもう一つの日常'を追求することだと言える。

意味の消去


坂本-例えば《代田の町家》では、緑甲板の壁を白くペイントしています。一般的には、明るくて白いほうがいいから白く塗る。たぶん僕にもすこしはそういう部分があった。でもそれだけだったら最初から板でなくてもよかったわけです。わざわざ板にペイントしているのは、やはりその板が持っている属性を保ちながら排除する、つまり意味のコントロールをしている、それは消費文化に対しての坂本の身ぶりが投影されている、というふうに多木さんは言うわけですが、言われてみるとそうだなあと思うんですね、でも僕のほうは直感的にしているわけ。多木さんはおそらく消費社会に対する嫌悪感を持っていて、僕もやっぱり他の建築家よりもそれは強かったのだと思う。それは共鳴しあったのかもしれません。
(中略)「否定の身ぶり」と書かれているのだけど、これは確かによく分かるんです。一つの文化に対してなかなか肯定できないなにかがある、それを否定する身ぶりによって自分の空間が成立する。それとアンビヴァレントであると。

長島明夫『多木浩二と建築』p99

多木-…それに対して自分はそういう表現をしたいけれども、あまり表現には出したくないというアンビバレンツな気持ちで建築をつくっていた。
(中略)
坂本-感覚という言葉でいいのかどうか、わからないですが、私の美学かもしれません。表現をしたいと思う一方で、表現をやめたいという、アンビバレトな、屈服した思いが延々と続いている。一挙に躍り出て、バーンとやるというようなことはまずない。
多木-…先ほど篠原さんはロマン主義だと言いましたが、それは精神的なクライマックスに達する状態を建築にすることなんです。けれども、私が坂本さんに見いだすのは、アンチクライマックスなんです。あるいは脱クライマックスなんです。

坂本一成・多木浩二『対話・建築の思考』p24

坂本-「意味を消す」と言ったのは、社会が付着させる意味を外すことによって、建築が持っている空間の本質的なあり方が出てくるはずだという意図でした。

長島明夫『多木浩二と建築』p127

つまり、意味の消去という、彼の姿勢は建築を求める過程でのスタンスであり、実体としての建築をつくるうえでの具体的な設計の判断根拠となっていったように後に説明されている。

たとえば、具体的には、散田の柱が建築のエレメントが力学的な特性を超えて意味を持ってしまったことから、以後独立柱の使用が避けられたこと。スケールの決定根拠が意味を持ってしまわないように設定されたこと、水無瀬の町家において、コンクリートが銀色に塗られたことなどである。

この住宅の柱は、意識として以上のような架構の関係を前提として使われたはずである。しかし、先に述べたように、この柱にはそれ以上の意味が付加されてしまった。そのことを私自身この住宅に認めざるをえないし、そうした意味の消去の可能性が得られずに、以来、柱を使うことを断念してきたと言える。

坂本一成『建築に内在する言葉』p150

また、篠原一男の「白の家」との比較も取り上げられており、壁を背景とした柱に意味が生じ、クライマックスな空間になっている点が指摘され、坂本一成の作品と対比がなされている。

最後に多木浩二の代田の町家と共に掲載した論文を見てみる

 彼の考えをトレースしてみると次のようになる。あらゆる物が、社会化されている現在では、すでに文化からあたえられた二次的意味と物の混同が生じている。たとえば木はもはや人間が自然的な環境のなかで生きていたときの木ではない。自然を喪ったが故に木はそれ自体ひとつの文化的な意味として動きはじめる。こうした「意味」は、もはや木そのものから自立し、それだけで成立ち、それは社会が形成する言語的な意味(〈意味されるもの〉)の制度にある。
 建築がこのような意味をどう操作しようと、あるいは無意識にそれをどう使おうと、結局は、語られることばの外にでて建築の語りを形成することはできない、という考え方である。(実際にはもうひとつアイロニーという方法がある。)かれを焦だたせるのはブルジョワ文化であり、マスカルチュワであり、キッチュ的なもの(ネオ・キッチュ)である。建築はそのようなものに対する批評として成立する。それは広い意味では、言語を管理する社会に対する批評である。もうひとつの問題はファサードにおいても、空間においても、現象と物のあいだに問いがなげられていることである。つまりかれが求めているのは、見るものによってうつろう影ではなくて、もっと確実に建築的なものである。

多木浩二「建築のレトリック1 「形式」の概念 建築と意味の問題」『新建築』1976.11
(長島明夫『多木浩二と建築』p186)

つまり坂本一成が感覚的に行っていた所作に対して、コントロール不可能な意味の生成が行われる社会制度への批評として住宅、建築を捉えていると指摘している。

このような指摘は1980年代から坂本一成が東工大に戻ってきてから行っていたイメージ研究への繋がるものがあるのであろう。

ここで、すこし余談だが、大衆消費社会において、社会や人々がイメージによって建築を位置づけているといった視点に立った人物として隈研吾が挙げられる。その際に、坂本一成のイメージ研究についても一部取り上げられていた。


コンセプトによる構成の統合

長島-坂本さんの初期の〈閉じた箱〉は篠原さんの自律的・完結的な空間の影響下にあったと言われますけど、ただ二十歳そこそこの学生が活躍している建築家の研究室に入ったら、当然なにかしらの影響は受けると思うんです。そのとき僕がより決定的な影響だったと思うのは、むしろ建築を〈閉じた箱〉だとか、あるいは〈家型〉だとか、そういうふうにコンセプトで捉えることではないかなと。それこそ多木さんが受けた影響と同じで、建築を人間の生の形式として捉えるということだったと思うんです。篠原さんと坂本さんとで形式の質は違うとしても、形式として捉えるということ自体は共通する。

長島明夫『多木浩二と建築』p107-108

自由な空間を建築によってもたらすためのコンセプトとは、単なるフォルムの美しさや新奇的なものではなく、建築をつくるときの現実のさまざまな条件に重ねる概念的なこと、理念的なこと、テーマ的なことです。たとえば後で述べる〈閉じた箱〉や〈家型〉、あるいは〈スモール・コンパクト・ユニットとアイランド・プラン〉など、コンセプトを明確にすることによって、物事を成立される構成を与えるのです。そうしたイメージやコンセプトは、私たちを取り囲んでいる現実や日常を超えて自由をもたらすのです枠組みを形成します。

坂本一成『建築に内在する言葉』p13

建築におけるコンセプトの設定は思考の枠組みを与えるだけでなく、同一コンセプト内で、段々とそのコンセプトから発展させて連作をつくるという試みは物事を考える普遍的な思考の一つだと言える。

というのも、ものを考えるうえで、最初にラディカルな端を設定することでその間の思考が可能になるからだ。その点、たとえば篠原一男の第2の様式での作品の変化と〈閉じた箱〉での作品の変化は酷似していると指摘できるのではないか?

閉じた箱

コルビュジェがサヴォア邸を空中に浮かぶ箱と呼んだように、箱はモダニズムにおける初原的なイメージと結びついていた。そのため多くの建築家によって、箱という言葉は使われてきた。

一方で〈閉じた箱〉と言いながらも坂本一成においては、前述のようなアンビバレントな姿勢が見て取れる点が特徴的だと言える。

当時日本は公害問題が特にクロースアップされた時期で、大気汚染の問題などがありました。そういう社会環境から〈閉じた箱〉という考え方をするようになったとも言えますが、「水無瀬の町家」は「散田の家」と同様に、〈閉じた箱〉と言いながら物理的に完全に閉じた箱にしたわけでなく、概念的に閉じるという、閉じながら開くという、ある意味で矛盾した曖昧な構成となっています。

坂本一成『建築に内在する言葉』p18

家型

〈家型〉については大きく分けて2つの事柄に着目したい。

まず第一に〈閉じた箱〉にとってかわるコンセプトとしての面である。

〈家型〉は多くの一般の住宅に内在する形式ですから非日常的とは言えず、特別な建築でない普通の建物であることを意味します。その意味では「特別性という表現の回避のために有効な形式」と言えます。
 この住宅の設計から、実体的にも概念的にも、いかに〈閉じた箱〉を開くかを意識的に模索し始めました。
 (中略)
〈家型〉はまた、切妻の屋根というかたちによって建物全体をまとめる、統合するためのレトリックです。

坂本一成『建築に内在する言葉』p19-20

さまざまな水準で現れる二次的機能の完全な消去はそれが社会という世界にある限り、論理的に不可能だ。しかし住宅は住宅であるというトートロジーにその二次的機能を含有させることにおいて、多くの意味はその点を除いて消去される。二次的機能を家形というある種の形態に準拠させることで、逆にさまざまな意味を開放させることにならぬか。つまり住宅に家という人の住まう場の概念をトートロジー的に表徴されることで機能性記号化しよう(すなわち機能がそれゆえに発生する意味だけの記号に限定しよう)ということである。そこに住宅において家形にこだわる必要性が見だせると思われるのだが。ここでその家形は必ずしも具体的な家の形を意味するのではなく、具体的なものを通した家の概念を構成するさまざまな水準の関係を示していると理解されたい。

坂本一成『坂本一成 住宅-日常の詩学』p88

〈家型〉のレトリックに関する解釈は第1.5回の記事に記載してある。

第二に〈家型〉が「家」すなわち多木浩二のいう「生きられた家」との関係について指摘されている点である。
多木浩二が「生きられた家」に関連して以下のように述べている

「建築」とは違って、社会の表面に浮かんできた商品化住宅では、住宅がイメージの中で成立し、操作され、住みつかれているという事態が生じてきた。それは「建築」でもなく「家」のイメージでもなく、イメージとしての「家」という第三の次元である。
(中略)
こういう状況の中で、古典主義以来の建築家の女神である「建築」の概念も、もうひとまわりもふたまわりも広げた視野の中で見直さなければならなくなっているわけである。おそらく坂本一成は、こうした建築の「社会性」にきわめて敏感な建築家であり、しかもなお人間の住む「家」の根源的な姿を、「建築」として見出そうとしている建築のひとりである。
(中略)
いずれにせよ、「家型」は「建築」と「家」を結びつける最初の手がかりになっていたようである。「家型」は「生きられた家」の隠喩的表現であった。

多木浩二「柔かな、かたちのない〈建築〉」『新建築』1981.6
(長島明夫『多木浩二と建築』p192)

また長島明夫も以下のように同様の指摘をしている。

長島-つまり《祖師谷の家》は〈建築家の作品〉と〈生きられた家〉を統合しようとするものとして位置づけられている。

長島明夫『多木浩二と建築』p107-108

以上を図式化すると次のようになる。

家型と生きられた家の関係

つまりは、建築には古典主義的な対象の秩序に加え、経験としての秩序(「生きられた家」)があるという多木浩二の「生きられた家」での主張が坂本一成の〈家型〉が結びついていると指摘されている。

最後に

今回の範囲では、以後一括して見られる坂本一成のアンビバレンツな建築家像を大まかにテキストを見ていくことで確認した。

今回の議論では、ここで確認した大まかな理論の中で具体的な作品について分析を行うとともに、テキストに関する事柄に関して議論していきたい。


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