かんごし通信 その8(2020.6)
先日、築三年ほどになる我が家の庭先に、ヤマボウシとサザンカの木がそれぞれ二本ずつ植えられた。同居している両親が日よけと視線対策のために手配してくれたもので、実際植えられたところを見ると、これがなかなかにいい感じなのであった。今まで玄関先の景観について殊更興味が湧くこともなかったのだが、気付けばこども達を外へ引っ張り出して一緒に砂利を退かし、一心不乱に土を掘り起こしていた。その足で某ヨークタウンにあるコメリへと向かい、煉瓦と土、名前も知らない青と白の植物を購入して素人くさいガタガタの花壇が完成したのである。
長い自粛期間の最中、私の家系には暇があると植物を植えたくなる習性があるのだろうか。思い返せば私の父親の実家には少し広めの庭があり、幼いながらに花を眺めたり、その中を歩き回るのが好きだった。祖母は植物に詳しく、庭の花について話してくれると何となく誇らしく思えたことを覚えている。一昨年あたりにSNSをきっかけに多肉植物が流行し、その時期に私もサボテンやらアエオニウムやらを勢いで集めたことがあったが、今では妻が生き残ったアロエを一株育ててくれているのみである。私の父親も、以前からどこから持ってきたのか突然大きな観葉植物を飾ることがあり、段々と自分が父親に似てきたことを実感したのであった。
私の両親は二年程前から〇〇市でイタリアンの飲食店を営んでいる。私が小学生の頃にも山形市内で『みくた』という私の本名を逆から読ませた名前の店を営んでいたらしいが、父親が従業員に怒鳴っている姿くらいしかほとんど記憶には残っていない。今でこそ三人の孫に囲まれておじいちゃんの顔をしているが、本当によく怒る父親であった。母親はというと若い頃は美容師をやっていたらしいが、今の店を出すまでは病院でヘルパーの資格を活かした仕事をしていた。私が中学生の頃から「資格を取らないと将来やっていけないよ」と「看護師とかどうかしら」が母親の口癖だったためか漠然と将来は看護師になるものだと思い込んでおり、実際にその通りになった。更には私には二つ年の離れた姉がいるのだが、ピアノの調律師の資格を持っているらしく同じく母親に擦り込まれたものではないかと踏んでいる。
外食や遊びに行けないストレスは確かにあるが、ゆっくりと花でも育てながら家族の時間を設ける良い機会にできればと、母の日に花の一つも贈らない息子もそう思うのであった。というわけで新型コロナウイルスが終息しましたら、〇〇市役所近くの『リストランテichie』をどうかご贔屓に。
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