虐待育ち 【僕は母を許します】

毒母との確執…お前だけは絶対に許さない! そんな僕が母親を許せるようになるまでのお話しです! 一冊の本を読むような感じで見て頂けると嬉しいです(^^)

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最近の記事

【94】全ては導かれている

僕は37歳の時に両親への解毒にたどり着くことが出来ました。 そしてそれは最初から決められていたというか、まるで導かれていたとしか思えないような流れでした。 本当に、僕の中では今振り返えってみても全てが繋がっていたようにしか思えないんですね。 こうして両親への解毒にたどり着き気持ち新たに人生を再スタートしましたが、それと同時にこの頃には沢山の不思議な考えも浮かんでくるようになっていました。 僕は何故あの親元に生まれてきたのか? 何故このような体験をし、このような道を進

    • 【93】送別会

      僕が母親への憎しみや恨みが完全に消すことができ、A子さんがジムを去って1ヶ月後のこと… この日はA子さんと手伝ってくれていたトレーナーの送別会が行われました。 この当時、ジムでは年に3回程大きな飲み会を開催していたのですが(忘年会や親睦会など)、今回集まった人数はこれまでの過去最高を記録しました。 そして、この時A子さんが辞めてしまったことを悲しむ会員さん達の姿が沢山みられました。 僕はその光景を見ながら『A子さんてこんなに会員さんから慕われてたんだ…正直僕はマイナス

      • 【92】運命の時…

        色々と限界が近づいてきていた当時の僕… そんな僕はA子さんに対し、常にキツくあたってしまったり邪険に扱ったり… 気付けばA子さんがやる事なす事全てに対しNOと否定しまっている自分がいました。 そんな状況に、僕はA子さんの後ろ姿を見てはこの人は一体僕に何を伝えにきたのだろう… 何故こんなにも僕を苦しませるのだろうか… とても感謝しているのに…と日々思っていました! そんなある日のことでした。 急に空から降ってきたというか… ふと、ある重大なことに気付いてしまった

        • 【91】歯がゆい状況

          自分の性格が仇となり、あらゆるストレスに苦しんでいた僕… あの頃の僕は毎日イライラしていたと思います。 そして当時の僕は極度のストレスから、これ以上は自分自身がダメになってしまうというか、精神的にかなり限界に近い状態にいました。 もうこれ以上は無理だ… 少しでも精神的負担を減らす為に残念だけどA子さんには辞めてもらおう…なんて考えていた時もありました。 しかし… 実際にはそんなことは言えない自分がいました… だって今ジムがあるのは紛れもなくA子さんのお陰だから…

          【90】ストレスの原因

          ジムオープン後、徐々にA子さんによるストレスに悩まされていた僕… 思えばちょうど一部の会員さんへのストレスも重なっていた為、当時の僕は必要以上にメンタルがやられていたんではないかと思います。 ちなみにA子さんへのストレスの一番の原因は、相性というか性格の不一致でした。 これは向こうはどのように感じていたかは分かりませんが、とにかく土台となる考え方や物の捉え方が真逆と言っていいほど違ったのです。 さらに育った環境の違いなどからくる常識的なことや、基本かまわない性格な僕と

          【89】さらなるストレス

          僕のもう1つのストレス…それがA子さんでした。 当時僕の中ではA子さんへの感謝の気持ちでいっぱいだったのは確かですが、それ以上に一緒に働いていく上ではどうしても相性が悪すぎたというか…そもそもの土台となる性格が全然合わなかったのです。 思えばこの性格の違和感は、スポーツジムでのボクシングサークル時代から何となく感じていたことでもありました。 それでも当時はそんなに重く考えていなかったというか… 何て言うか、まだ会員さんとインストラクターという最低限の距離感が少なからず

          【88】まさかの原因

          前回、A子さんのお陰で入会が増えてきたジム… こうして、オープン半年後には損益分岐点に到達し、何とかA子さんにもお給料を払えるようになったのです。 そして…当時この仕事を一生の仕事にしようとしていた僕からしたら、A子さんが助けてくれたことには本当に感謝していました。 たぶん僕1人だったら潰れてましたから… この時の僕からしたら、Toneさんが絶対的信頼感や安心感の方なら、A子さんは絶対的感謝をしていた方でした。 そして、その後も2年くらいは定期的にプラカードを持って

          【87】プラカード

          ジムオープン後、思うように伸び悩んでいた会員数… 当時色々なことを試してみましたが、結局問い合わせは増えず… そんな時にふと浮かんだのが駅でのプラカード持ちでした。 僕がジムを開いた駅は1日の乗車数もかなり多く、しかも改札は1ヶ所!出口も東口と西口の2つだけたった為か多くの方がプラカードを見てくれました。 そしてこのプラカードの良いとこは、見た方で興味がある方は自分から声を掛けてきてくれるということでした。 チラシ配りやポスティングみたく、誰でもどこでも構わず配るわ

          【86】オープン後…

          2015年11月… 何とか無事にオープンできたジムでしたが、ここからが大変でした。 当初の予定よりも会員さんが全然集まらなかったのです。 正直オープン前に新聞の折り込みチラシを入れていたのである程度はすぐに集まるだろうと予想していました。 しかし…現実は厳しかった… 11月ということで年の瀬も近かったせいか、年内は本当に厳しい状況でした。 このままだったら、もしかしたら年を越した3月には支払いが出来なくなる… そんなところまで追い込まれていたのです。 この現実

          【85】正反対な性格

          遅らばせながら何とかオープン出来ることとなったジム! オープン当日にはToneさんも来てくれてお祝いしてくれました。 更にボクササイズの生徒さんやボクシングサークルの生徒さんなども来てくれ賑やかな初日となったのです。 そして、この時にやっぱり一番サポートしてくれたのがA子さんでした。 本当に何から何まで感謝でしたね! こうしてオープン初日を無事に終えることができましたが、そう言えばこの日A子さんとはこんな面白いエピソードがありました。 それは空き時間にA子さんがト

          【84】苦渋の決断

          2015年夏… ジムを始めるにあたっての融資をしてもらう為、僕は日本政策金融公庫に面接にいきました。 そして、その合否を待ってる時にA子さんに、ジムがオープン出来ることになったらパートとして働いてもらえないかと声を掛けたのです。 当時A子さんに声を掛けたのは女性て言うのもありましたし、実際にサークル内では一番頼りがいがある方でした。 さらにお子さんが成人していたので頼みやすいってのもあったと思います! ただ正直なとこ、この頃にはA子さんの性格には若干の不安がありまし

          【83】サークル活動

          2012年ボクササイズのレッスンにてA子さんと出会った僕。 約1年後に開催されるようになったサークルにも参加してくれ、インストラクターと会員さんとしてはある程度のコミュニケーションをとれるような仲にはなっていました。 ちなみに当時の僕のA子さんへの印象としては、僕よりも母親との年齢のほうが近いこともあって『あ!お母さんに世代の近い人か…』て思っていた記憶があります。 こうしてボクササイズのレッスンやサークルに参加してくれるようになったA子さんですが、当時よく参加してくれ

          【82】もう一つの物語

          ここまでお読み頂きありがとうございます。 これまではToneさんを中心とした解毒へと向かう流れでお話しをさせて頂きました。 ここからはもう1つの解毒へのお話しを書いて行きたいと思います。 僕が両親に対する考え方や人生の生き方を変えてくれたToneさん。 そして、僕が最も許せなかった母親への決定的な解毒へと繋がったA子さん。 そんなA子さんのお話しです。 この時に少しだけ紹介してますね! 是非是非お楽しみ下さい(^^) 時は2012年… 当時30歳だった僕は、

          【81】犬猿の仲⑥

          前回、Cさんとの間に確実に差がでてしまったことに気付かされた僕… この時の僕は長年の大嫌いだったという感情はなくなり、それどころかCさんを尊敬の眼差しで見るようになっていました。 そして、まさにそんな時だったのです。 『Cさん亡くなったって…』 グループLINEから届いた1本の連絡… 確か脳か心臓系の病気だったと記憶していますが、この時のCさんはまだ44歳でした。 日頃から運動や食事といった健康には気を使っていたのに何故…僕は不思議でしょうがありませんでした。

          【80】犬猿の仲⑤

          2011年に自分のジムをオープンさせたCさん。 その4年後には自分も同じようにジムをオープンさせました。 こうしてそれぞれの道に進んだ二人でしたが、その後の僕はというと… はたからみたら順調にいっていたと思われていたジムも、実際のとこかなりのストレスとの戦いになっていました。 そして当時、色々と迷っていたのも事実です。 1000万以上借り、期待に胸膨らませ始めたジム… しかし、自分の性格や対人関係の不得意さに悩まされる日々… その後どんどんストレスでむしばまれて

          【79】犬猿の仲④

          僕がスポーツジムでアルバイトとして働き3年半が過ぎた頃でした。 当時27歳の僕はアルバイトしながらプロボクサーをやっていました。 しかしボクサーにはなっていたものの27歳でバイト…という現状にどこか引っ掛かっていた僕は、思い切って社内認定のパーソナルトレーナーの資格を取りに行くことにしました。 さらにこの時、インストラクターとしても活動するためにボクササイズの資格もとりに行くことに…(これはちょうどデビュー4試合目の試合で人前が苦手で負けた時ですね!) ちなみに勉強や