生きるために祈ることと本当の優しさ
最近はコロナの勢いと同じぐらいに仕事が忙しい。昨日も退勤は23時半。終電に飛び乗ってコンビニで食べたくもない飯を買い、帰ってとりあえず体に入れる。シャワーに入り、歯を磨く。
着替えると上司からの連絡、まだ仕事してるのか?そんなに仕事が溜まっているのか?
懇切丁寧に残業の理由を説明して、自分の正当性を訴える。残業代が欲しいわけではない。残業が多いのはそちらが組み立てたワークフレームのせいでは?本当に下らない。
YouTubeでしょうもない配信者の動画を見ながら寝落ちかける。危ない、アラームをかけないと。そのままお休み。
こんなのが最近の日々。
我ながらよくやっていると思う。
くだらない毎日くだらない仕事。
希死観念が頭をもたげる。
去年は円形脱毛症が二個もできていた。
今朝通勤路のマンションから出るおばあさんを見かけた。マスクをつけておらず何かを呟いている。その口元が静かに
「南無阿弥陀 南無阿弥陀」
と唱えているのに気づくのに時間は掛からなかった。
マスクの代わりに念仏を口にする。
今日も生きれるように祈る。
もう彼女にはそれしかないのかもしれない。
仕事があるだけで、生きているだけで丸儲けなのかもしれない。俺は恵まれている。
今年はまだハゲてもない。大丈夫。大丈夫。
強く生きなくてはならないと強く思う。
仕事に一区切りつけて、
昼休みにいつもの喫茶店に行く。
ハンバーグ定食、ご飯大盛り。
「大盛りなんて珍しいね」
「仕事のストレスです」
とすぐ口から出てしまう。
タバコが切れたので近くのコンビニへ買いに行く。コンビニの前でうずくまってる男子大学生がいる。すまない、俺はハイライトが欲しいんだ。タバコを買ってコンビニを出るとまだ大学生はうずくまっている。すまない、ハンバーグ定食が待っているんだ。昼休みは1時間しかないんだ。午後からも鬼のように仕事が待っているんだ。クズだと思った。
信号を待っていると向こう岸からおばちゃんがこちらを一瞥する。心配そうな顔。大学生に向けてだろう。あなたは声をかけないの?という視線もわずかに感じられる。おばちゃんは一瞬逡巡したが、見かねたのか声をかけに行ったのかもしれない。俺は今駄文を書いている。本当の優しさが欲しいと思った。
多分あそこで声をかけるのが本当の優しさなんだろう。
コロナにかかったらどうする?
昼食が食べれなかったら?
面倒ごとになったら?
部長になんて説明する?
うずくまっている人がいて助けていました。
現代でそんな言い訳が通用するのか?
仕事のせいなのか損得勘定だけ上手くなる。
どうかおばあちゃんが無事でいますように
どうか大学生とおばちゃんが幸せである様に
そんな念仏を心で唱えながら、
強く優しく生きれます様にと祈ることしか出来なかった。