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こんにちは。

いつもお読みくださいまして
誠にありがとうございます。

さて私の 自閉症(個性)グレーゾーンは医学の病名はないですが、
いちおグレーゾーンと明記させていただきます。

幼少の頃から、私は自分で自分を守る術を持っていなければ、
生きる方法がない心の持ち主です。

生きることに積極的っていうことは現実に何かに挑戦をして、そこでつまづいても、また立ち上がり、挑戦する。
失敗や恐れを「過度」に意識しない。
と思っています。

私のような、「生きる」に関しては、

生まれながら消極的であり、
この世は怖い感覚でありました。
挑戦する、挑むそういうことはなかなか難しい性格でありました。

ある時、

もう自分は捨てた。
どうなってもいいということで、自暴自棄とは違うんですが

自分を評価してくれるのは人であり、
自分ではない、
そういう感覚で、
芸能界の裏方、ダンスの勉強をして20代を過ごしました。
天然っぽく素直な気持ちを出したのが、
相手は受け入れてくれたのかもしれません。

勿論、
楽しいことも嫌な事も経験しました。

しかしそれが精神病にもならず(既に精神病でしたが、まずは、、、)

コンスタント日常を過ごす事が理想でした。

しかし私の性格、個性では無理でした。
反省をし、日常生活もキッチリ!
しか~し😤

あの時はもう精一杯毎日が精一杯!(私の小さな器の意味でです)

楽しい部分がいっぱいありましたし。
でも苦しみはある。
しかしお仕事です。お給料いただいているんです。
当然のことです。

定型発達でも経験する事です。

私の場合は精神的に苦しむ個性。
そこが一番厄介であり人生の大きなハードル、
そこをクリアするべく努力は、自分なりに してきました。
乗り越えようともがきながらの20代。
しかし20代捧げたこの命、全ておじゃんです。

30代を迎え周りは友人は子供もできて、

そんなことを比べたらきりがないんですが、

なんで私はこういう風な目に遭うのかなと 自分で自分を恨んだことも多々あります。



自分が転んでも失敗しても、そこには経験があるはず。記憶としては重い記憶です。しかし経験には変わりありません。

今まで生きてきたことを挽回するためにやってきたことなんです。

苦しんで苦しんだあげく

行き着いたのは「感謝」でした。


言葉に言うにはたやすいけども 心から感謝できるって言うことはなかなか難しいものでもあります。 お母さんが抱っこしてれて、おしめも変えてくれ、祖母におんぶして電車を眺め、お母さん、お父さん、おばあちゃんの肌身を感じ、愛されてきた。
ですから
私はここまで 生きてこれたんだと思います。
そして 不思議なことに私は
こういう性格で生まれてきてるけども、
ここの親だったら 愛情深く見守ってくれてるだろうと、
そういう意志で、
母のお腹に入ったと思います。手間はかかる 息子。
母は苛立つ。父も苛立つ。
しかし愛情深く見守っていただいた。
家族に「感謝」

仏壇の前に正座し、蝋燭に灯をともし、
お線香をさして手を会わし、
愛情深く見守っていただいたご先祖様に「感謝の念」です。

命の火が消えるまで、必死に生にしがみつかなきゃご先祖様に立つ瀬なし。
よし明日は掃除だ!!!



本日もお読みくださり誠にありがとうございました。

大変励みになります😢