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『愛がなんだ』は利己的であるがそれでいて人間的
今泉力哉監督「愛がなんだ」。以前観た映画ですが、ちょっと振り返りながらも思ったことを。一つ
観ていて、テルコはマモルのことが本当に好きなのかわからなくなった。
もちろん表面上はマモルの良いところから、ダメダメなところまで全部含めてテルコはその存在を肯定しているように最初は感じていたのです。結局人にどうこう言われようと自分のしたい様に、他人の意見より自分の想いを大切にして行動する。それが愛だとし
「騙し絵の牙」は面白さとの戦いである
大泉洋さんに当て書きされたという映画。楽しみでした。早速感想を書こうと思ったんですが、ここのキャラクターやストーリーやテンポの秀逸さに触れてもあまり意味がない気がしたので今回は、というか今回も一つのテーマに絞って感想を書きたいと思います。
『面白さ』を追い求める者たちの戦いという視点
映画の強いコピーとしては「騙し合い」というところなのだろうと。しかし、それを支える業界の戦いの軸は面白さという
「退屈な日々にさようならを」を観て、別れについて考えた
今泉力哉監督の「退屈な日々にさようならを」を観て本当の別れってなんだろうと考えた。人にはいろんな別れがあってその状態は様々で。それでも人は人のことを想う時に、どうしたって別れは避けて通れない。
ある日嵐のように訪れる夢のような日々も、ゆるやかに訪れる晴れやかな青空の下の別れも、その人にとっては人生の中で重要な意味を持つ。時間が、あるいは季節が滞りなく過ぎていくように、逆らえない流れに身を任せるし
「まともじゃないのは君も一緒」を観て考えたこと
今年は本当にたくさんの邦画が公開されて良作ばかりで忙しいです。
まともじゃないのは君も一緒を観てきました。
普通とは何かを考えさせられる映画でした。ここで普通ってなんだろうと考えてみようと思いました。それが一番この映画を考える中で大切なことなんじゃないかと思います。ここでは普通ということを多数決で多い方の意見と置き換えて考えてみたいと思います。
多くの人が選択肢を迫られた時に、多くの人が賛同
花束みたいな恋をしたが流行する世間に憂鬱になるときに考えたこと
花束みたいな恋をした。非常に世相に刺さっているらしい。もちろん映画としては素晴らしかったし本当に細かいところまで人の機微を描いていたと思う。
ただこの映画が流行ってしまう。その背景に潜む憂鬱はどうしたって考えざるを得ない。簡潔にいうと、この映画が強要しているのは汚さや醜さを排除した先にある美しさ。美しい普通の強要。とも言えるかもしれない。
そしてこのことに多くの人が気が付くことができないような