”あの日"から11年
2011年3月11日14時46分
宮城県沖を震源とするM9.0の大地震が発生
津波による甚大な被害
福島第一原発事故によるセシウム流出
今もなお避難所生活をしている人
あの日の出来事は歴史的にも世界的にも
多くの人の暮らしを豹変させ
強い痕跡を付けていった
当時僕は宮城県に住んでいた
たしか妹とテレビゲームをしていたと思う
その瞬間ただ事ではないことが起こったと
とっさにコタツの中に頭を引っ込めた
僕が住んでいたのは栗原市という
奥羽山脈寄りの平野だったので
津波被害とか原発事故の被害はなかった
しかし栗原市は最大震度7を観測
1週間の停電生活を強いられた
栗原市はその3年前の6月14日
岩手県内陸南部を震源とするM7.2の
岩手・宮城内陸地震が発生しており
その時も最大震度6強を観測
市内の栗駒山高原を中心に
大規模な土砂災害が発生
駒の湯温泉が流出されるなど
山あいに大きな爪痕を残していた
一度大地震を経験していたから
身のこなし方とか
まだ少し気持ちに余裕はあったのかもしれない
震災は後世にも語り継ぐべき事だと強く思うし
今後防災研究が進んで
被害を少しでも食い止められよう
安心して暮らせる世の中になって欲しいと願う
もちろん自分自身や家族を守るため
いざという時に必要な対処ができるよう
普段からしっかり備えようと思った
あれから11年が経ち
実家に帰った時に沿岸沿いに行ってみると
少しずつでも確実に復興への道を踏みしめてると
街並みを見てると感じることが出来るし
地元の方のテレビを見ても
希望をもって一生懸命生きてる人は
すごく笑顔だなって
本当に心がぽかぽかになる
自分がこうして周りの人と生きていられるのは
本当に恵まれてるし幸せなんだと
この記事を書きながら
改めて噛み締めることができた
命の重みを感じることが出来た
世界中の人と
輝かしい未来を
一緒に歩んでいけますように
keep our believe