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鹿児島レブナイズへの思い

■ 鹿児島レブナイズとの出会い

 2016年9月、当時レブナイズの後援会会長だった父からボランティアとして力を貸してほしいと突然の電話を受けました。後援会長として地元のプロバスケットボールチームをなんとかしたい、そう熱く語る父の役に少しでもたてるならと、今考えればあまりにも何気なく、あっさりとその依頼を引き受けたのが私と鹿児島レブナイズとの出会いでした。初めての作業は「レブナイズ神社」の鳥居作り。ネットでちょうどよいサイズの段ボール筒と黄色いペンキを探し、アルバイト終わりに後援会事務局の駐車場で何日もかけて制作したのがつい先日のようです。完成した鳥居と絵馬をレブナイズの公式戦会場へ運び、来場されたブースターの皆さまに応援をお願いしながら迎えた初のプロバスケットボール観戦。バスケットボールのルールすら知らなかった私にはとても新鮮で魅力的な世界がそこにはありました。残念ながら試合には敗戦しましたが、小さい頃から野球少年でプロ野球選手になりたいという夢を持っていた私にとって地元鹿児島でプロスポーツを見ることができる、そして子ども達が直にプロ選手とふれあい、身近に夢を描くことができるこの環境に強い憧れと少しの嫉妬心を抱いたことを今でもはっきりと覚えています。

■ 鹿児島レブナイズへの思い

 出会ってからこれまでのことはこれから少しずつ書き残していきたいと思います。今年私は新たな運営会社をオーナー、社長とともに立ち上げ、クラブを引き継いでから4シーズン目を迎えます。これまでの3シーズン、正直な気持ちを言えばずっともやもやと晴れない気持ちを抱えてきました。思う通りに行かない、納得のいかない事ばかりの日々にうんざりして、正面から向き合えない時期もありました。しかし、言い訳はもう通用しません。コロナの影響により、日本全国で様々な問題が発生している今、鹿児島レブナイズも改めて存続の危機に直面しています。これまでも決して余裕があったわけではありませんが、明日すら見えない日々により一層の不安を募らせながらも、なんとかこの現状を乗り越えるべく打開策を考える毎日です。

 そんな中、最近常に考えていることがあります。それは私がなぜ「鹿児島レブナイズ」事業に取り組むのか、私にとって「鹿児島レブナイズ」とは一体何なのかということです。

 父の一言から始まったボランティア活動が今では私の生活そのものになっていて、もはや依存とも言えるかもしれません。鹿児島を盛り上げたい、プロスポーツの灯を消したくない、そんなことを言い続けていますがそれはサブテーマにすぎません。なぜレブナイズなのか、その答えはただ一つ、私自身が鹿児島レブナイズを心から好きである。これに尽きると思います。初めて観戦したあの日の感動、興奮、嫉妬これらすべてが私の中に鮮明に残り続けています。そしてそんなクラブをもっと多くの方に知ってもらいたい、あの頃チーム存続を願い懸命に動いた仲間とともにまたB2の舞台に立ちたい、そう思い続けながら明日も活動していきます。

近い将来必ず、B2へ。


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