生と死と
どこまでも生きることに希望を抱いていたいから。生きることに喜んでいたいから。驚いていたいから。過去の自分をぎゅっと抱きしめたいから。何があっても諦めたくないから。何があっても絶対に彼らを忘れたくないから。ずっと共にいたいから、在りたいから、
過去に紡いだ言葉を乗せるね。
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ちょっと長いのだけど、重い内容もあるのだけど、みんなに伝えたいと思って。
今年本当にしんどい1年でした。友人が二人亡くなりました。突然の事故で。
二人ともこれからって時期で、大学に入って学生団体やゼミ、サークル、部活など頑張ろうとしていて。一人は後輩で、浪人していて勉強を頑張っていた。会えるのは受験終わってからだなって思ってて。楽しみにしていて。
また会って話したかったな、他愛ないことで笑いあいたかったな、共に未来を語り合いたかった。
すごい悔しいし、辛い。
未来に希望が見えず、絶望だらけで、生きているのをやめたくなる時もありました。ぎりぎりを攻めて生きていました。
いろんなものに頼りました、生きるのに必死でした。心療内科・精神科にも行きました。薬も飲みました。
苦しい時期を経て、絶望を経験して、心から実感したことがあります。
弱さがあったって、生きづらさを抱えていたって、生きていることが本当に尊くて、奇跡で、素晴らしいこと。
そして、死してなお、彼らと共にいることができること。ぼくの中に彼らが生きていること。
今、弱さ・死・生・命を扱った、そんな命の奇跡の物語を伝える絵本を友達と創ろうとしています。
4-7月の僕には今のように動いてがんばっているのが、想像できませんでした。本当にたくさんの支えや出会いのおかげです。綺麗事のような、理想論のようなことを考えたり、語っているけれど、諦めずに楽しくやっていこうと思っています。
みんないつもありがとう😌
今振り返ると、いろんなものに囚われていました。男性性の生きづらさ、自分の中の強くあらねばという声、動けない、働けない自分に価値が無いという思い込み、周りに置いていかれるのではないかという不安。
いろんな苦しみとか絶望、不安と共にいることができるひとになりたい。
とっても救われた鈴木ゆうすけさんの記事!
引用!↓
絶望の真っ只中にいるひとに、やさしい言葉をかけても、寄り添いきれない部分がある。
誰かの絶望をほんとうに理解するには、じぶんも「深い絶望」を知っているということが必要だとおもう。
絶望は、「人間を理解する」という知性を、一回りも二回りも大きく成長させる。
人間を深く理解するとね、人生の面白みは格段に上がる。
それは、今後出会うかもしれない大切な誰かの悲しみを癒やしたり、そのひととより深い絆をむすぶ力になるかもしれない。
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今日もみんな生きていて偉い!おつかれさま。
また会おうね、いつでも話そうね。
苦しい時、なんでもない時、なんか誰かと話したい時、いつでも気楽に連絡してね。