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それを伝統ポルノと呼んでいる

 佐賀県有田町は400年以上続く有田焼の産地として、焼き物産業を大切に受け継いでいる土地である。私自身も有田に生まれ育ち、今は有田で作家活動をしている。最近は有田焼産業に従事する若手として、町に関わる役回りを頂いたりもする。さらには昨今、焼き物産業に関わる企業の次世代がUターンしたり、あるいは焼き物作りに興味を持った若い世代もIターンしたりという中で、同世代で有田焼産業を盛り上げようという機運も高まっている。現在、目に見えて衰退していく有田焼産業は、岐路に立たされているのか、あるいはすでに手遅れなのか。いずれにしても大義あり、涙ぐましくもあるこの伝統を未来に残そうとするムーブメントに私は当事者として、最近は意地の悪い思考を抱いている。ここからは、ただ無責任に具体的な解説を欠いた傍観者を気取って言葉遊びに興じてみようと思う。

 少し記憶を辿ってみれば、『伝統』という言葉は明治時代に“tradition”の訳語として生まれた言葉である。言葉の出自はどうあれ、この100年間は伝統を冠する物事を、国から地方自治体にかけて絶滅危惧種のように守る努力をしていた。それ以前は屏風や調度品など、生活とイコールであった『美』も、西洋から輸入された純粋美術という概念によって、工芸という言葉に追いやられた。“詫び寂び”を理解しなくなった日本人について語られるに久しいが、一方で『伝統』という言葉は時代を負うごとに際立ってきている。それは『伝統』という言葉が生まれた瞬間から「悲鳴のように聞こえていた危機感」が、産業が衰退するにつれてより実体を帯びていることに呼応した結果なのだと思う。

 有田に話を戻すが、有田焼の始まりは400年前に朝鮮から連れてこられた陶工が、有田に有田焼の材料となる磁石を発見したのを起源としている。これが伝統の興り始めとして神話的な語られ方をしがちだが、一方で唐津で土ものを作っていたその朝鮮陶工が磁石を選びとったことに、もの作り人としての純粋性を感じるのは私だけだろうか。事情はどうあれ『伝統』という言葉が介入しない当時に、貪欲に、あるいは見境なく、理想を追い求めた結果に生まれたのが、有田焼という新しい形態だと今なお認識されている。

 少し話を飛躍させると、そもそも陶芸というのは地球の地熱活動を模倣し、土と炎を使ってまだ見ぬ形態様式を模索するゲームとも言える。私も例に漏れず、この土遊びに興じていたのだが、いつの間にか町だの伝統だのを背負わされていたので驚いた。しかしこの『伝統』という言葉が面白い。求心力はあるのに、ビジネスとなるとここ100年、全く成果を上げていない。成果が出ないものに、こうも求心力があるのはなんとも反戦教育を彷彿とするが、しかし同時に一方で『感動ポルノ』という言葉も思い出したのである。

 昔、話題に上った日本テレビの24時間テレビ「愛は地球を救う」というチャリティー番組での一幕。大事故で下半身不随になった車椅子の少年が、生放送中に富士山登頂を目指すという番組の構成。途中、少年が倒れ混んだり、もう登りたくない様子も流れる。登頂した少年に、番組側が何か一言を要求するも、疲労困憊な少年が「寒いです」とだけ答えた。障害者は健常者を感動させるための道具なのか。すべての障害者は頑張る義務があるのか。昨今のこの現象は一部で『感動ポルノ』と呼ばれている。食事や料理シーンを魅力的に写すことを『フードポルノ』と呼んだり、朝ドラ等で視聴者層の理想的な若者像を演出することを『孫ポルノ』と呼んだり、『○○ポルノ』という言葉はサービスの提供者がこちらの欲求を満たそうとしていることが見え透いている場面で用いられている傾向にある。

 もし『伝統』の求心力や、あるいは私が感じている同調圧力に呼称があるなら、このように呼ぶにふさわしいのだろう。私はそれを『伝統ポルノ』と呼んでいる。

(Photo by Seitaro Iki)


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