避けてきたこと
小原晩さんのエッセイ『ここで唐揚げ弁当を食べないでください』、『これが生活なのかしらん』を読んだ。
今までエッセイはそんなに読んでこなかった人生で、買っても途中で読むのをやめてしまうことが多かったのですがこの2冊は全然違った。
読んでこの人は「生活の捉え方を極めている人だ!」と思った。
捉え方と語り口、表現のニュアンスがあまりにも絶妙でシンプルにすげぇと感動した。
もはや「すげぇ…」って何回も言いながら読んでた。
この才能は絶対に世に広まって行くし、遅かれ早かれ多分読んでいたんだろうなと思うけど、今出会えて本当によかったなと思う。
この人の文章は、文章の上でこの人が舞っているような感じがする。
それも型の決まったダンスとかじゃなくて、生活の中でテンションが上がって鼻歌なんか歌いながら揺れてみたりしている状態から、ちょっとテンションが上がって人に見られたらちょい恥ずかしいくらいの水準の舞。
それがずっと続いていて楽しい感じ。
内容の温度や明るさ暗さに関わらずそれがあって、その感覚をエッセイを読んで受けるのが初めてでとても嬉しかった。
その舞の感覚は僕が思ういい俳優のあり方に近い気がした。
役の中でその人自身が舞ってるような感覚、状態があって、たゆたいながらもその人自身の軸はブレずに存在している感じ。
小原さんに感じた「生活を極めている」のと近いニュアンスで、僕がいいお芝居をする人の条件のひとつとして常々思っているのは「生きることを捉えるのが上手いこと」。
生きることに対しての思慮が浅い人にはいい芝居はできない。
(ただ逆に、役に対してからっぽの入れ物として己の肉体と精神を差し出せる人はいい芝居をできる場合もなくはないとも思うがそんなものは目指してなれるものではない)
と、直接関係ないような事柄に結びつけて語りたくなるくらいにこの本2冊に刺激を受けたし、あなたも好きだったら嬉しいんだけどなーと思った人に1冊無理やり貸しました。
ダウ90000の蓮見翔さんがラジオかなにかで「エッセイを書くとコントのアイデアとして使えなくなってしまうのであまり書かないようにしている」みたいなことを言っていた。
僕自身もそのようなことをなんとなく感じていて、なにかエッセイめいたものを書くのではなく自分の考えていることとか面白いと思っている感覚は脚本に落とし込めばいいんじゃね?と思っていた。
でも小原晩さんのエッセイを読んで、文章を書ける人に対する憧れが自分の中にはやっぱりあると思ったし、書かないと向上していかないものなので書いていこうと思った次第でございます。という決意表明でした。以後よろしくお願いします。
小原晩さんは小説もスゴくよくて、エッセイから小説への移行のスムーズさ、なにも損なわれてなさに舌を巻いた。どっちでも遥かな高みで舞っている。親密なフリしてすっげえ高いところで舞ってる感じ。すっげぇ。