身体と脳に効く話 思春期の少年が求めていた「聴き手」(財団法人郵政福祉「りんりん」第196号(2011年9月1日発行)に掲載されました。)

思春期、一般的にその年頃の子どもたちは、扱いが難しいとされています。しかし私たち大人も、誰もが必ず通ってきた道のはずです。


普通に「生きる」とは?

多くの人は、自分が生まれ育った環境を「普通」だと思っています。子どもたちが過ごす「普通の環境」とは、親がかつて育ってきた環境に強く影響され、あるいは受け継がれてきた「家庭の文化」の中にあるとも言えるでしょう。

親にとって「普通の環境」でも、子ども自身が大人になっていくプロセスでは、周りの大人が理解できない悩みを抱えるものです。場合によっては、そこで生まれるやり場のないムシャクシャした感情が、非行という形をとってあらわれることもあるでしょう。

とは言え、両親にとっては、育て上げてきた大切な子どもが、〝悪い方向〟に進んでいくのを見ているのは、たまらない気持ちになるのも確かです。

ある中学2年生の少年の話です。「背中が痛い」と病院にかかっていたものの、やがて通院をやめてしまいました。医者からは「病気らしい病気はない。思春期にはよくあること」と言われたそうです。

このパターンで成長痛っていわれることがかなり多いです。お医者さんも難しいんでしょうね。ただね、お医者さんだけじゃなく、相談できる人がいたら、子どもたちの不安はずいぶん違うなあとよく思います。

ご両親は「運動でもすれば良くなるだろう」とハッパをかけますが、一向に良くなる気配はありません。それどころか服装が乱れ始めたそうです。周囲の大人は「進路に響くのではないか」と心配していたそうです。そこで学校の先生から紹介され、私のところへ相談にいらしたのです。背中の痛みが癒えれば「普通」に戻ると思ったのでしょう。


少年の悩みと背中の痛み

セッションのためにお宅へうかがうと、彼は部屋に閉じこもって出てきません。ご両親は「肝心の本人がでてこないんじゃダメじゃない!」とずいぶん叱っていらっしゃいましたが、私は「しばらくここで待たせてください」と、部屋の前に座り込みました。

しばらくすると、ドアの向こうから「なにしにきたの?」と、少年の尖った声が聞こえてきました。「君がずいぶん荒れてるって聞いて、見にきたんだ」と答えました。

不安が強い大人の方は、保護者であっても教育者であっても、子どもの気持ちに合わせるのが苦手な傾向があります。すぐに正論をいったり、不自然に共感的に振舞おうとしたり、気をそらそうとしてしまいます。子どもは、頼れる大人に気持ちを分かち合いたいものなのに。

長い沈黙がありました。怒ってしまったかと腰を上げようとした瞬間、「どうぞ」。部屋のドアがスッと開き、そこにまだどことなく幼い顔立ちの少年が座っていました。髪を鮮やかな金色に染め上げ、中央は盛り上がっています。

「ソフトモヒカン?」

そう聞くと、彼はニヤリと笑ってうなずきます。ところが「親は怒るだろ?」と続けると、途端に顔が曇りました。

「友達の誰々みたいに真面目にやれっていう」

私は、子どもが起こす問題行為は常に、その時に抱えている悩みに関連していると考えています。一見すると、ただ大人への反抗の象徴として、髪型を変えているように見えます。しかし本当はきっと、そこに何がしかのメッセージが込められているはずです。

ご両親からは背中の痛みで依頼があったのですが、私の関心は髪型に向かいました。

「その髪型って、美容院で作ってるの?」と聞くと、ちょっぴり口ごもりながら、「自分で」と言います。私は感動し、あれこれ聞くと、やはり口ごもりながら、しかし、どこか嬉しそうにも見えます。そこで「ずいぶん美容について詳しいけど、その道に進みたいんじゃないの?」と、彼の目を見ながら、尋ねました。

なかなか難しいんですが、お子さんの気持ちの激しい揺れや問題行動に対して、火に油を注がないように!理由は何なのかな?っていうひと呼吸がサポーティブな家庭環境になるんじゃないでしょうか?

これまで、視線を外しながら話していた彼は、私の目を見て「そうだ。それなのに両親は、有名大学に行ける高校を目指せという。自分の夢を話す時間もない」。

彼の瞳から、夢を素直に語れなかったこれまでの悲しみと、奇抜な髪型に込められたメッセージを読み取りました。

わたしは子どもたちに対して、不安や心配ごとを言葉にするように伝えています。なぜなら、言葉にしておかないと、いつまでたっても核心までは届かずに不安や心配を繰り返すからです。ただ、言葉にすることが非常に苦手だったり、幼い場合には、ごっこ遊びやドローイングによって表現できるように促します。ただ、根掘り葉掘り聞かないこと!

部屋を出た私は、ご両親へ彼とのやりとりを話した後、「一度、一緒に話を聞いてみませんか?」とお願いをしました。父親はなるほどといった表情で、「あれくらいの時期は、すごいことを考えているものですよねえ。わたしもそうでした」と笑っていました。しかし母親は「先生、大丈夫なんでしょうか?背中が治らないと、勉強に集中できないかと思って。しかもあんな髪型ですし」と不安な様子です。

親御さんが不安に飲み込まれそうな時は、まずは親御さんの精神的な負担を和らげる方略を考えたほうが良かったりします。さらにいえば、すごく現実的で実際に行動に移せないと、お子さんのセッションにも影響しますので注意が必要です!

「彼は進路について、ずいぶん悩んでいるようです。まずは彼がどんな道に進みたいのか、自然に話せる雰囲気を一緒に作ってみませんか?」

背中の痛みには、「悩みを背負い込む」という意味があると言います。親に対して自分の夢を素直に打ち明けられず、一人悩むことによるプレッシャーが、背中の痛みに現れたのかもしれません。

不安になりやすい人ほど、触覚や聴覚なども過敏な傾向があります。


誰かの話を「聴く」だけで

現代は核家族化が進み、それにつれ、親の「子どもを守るのは私たちだけ」という意識が強まっている気がします。その意識はいつしか強いプレッシャーとなり、特に母親は子どもの世界に入り込みすぎる傾向があるようです。例えば子どもへ頻繁にメールを送ったり、子どもが書いたブログをチェックしたり。そうして気持ちを理解したいのでしょうが、子どもにとっては「自分の世界が奪われている」と感じることが多いようです。

岸見一郎さんが、「子どもを叱って育てる親は、子どもが自分で責任を取らなければならない場面で、子どもの課題に介入し、子どもを甘やかすことがあります。『アドラーに学ぶ⑵ 愛と結婚の諸相』」と言っています。そういう育てられ方をしたお子さんは、いわゆるマザコンになりやすいそうです。

私が彼の髪型に触れたことは、依頼内容を超えた「余計なお世話」だったかもしれません。しかし、かつて「余計なお世話」をしてくれた近所の大人や、おじいちゃん、おばあちゃんが傍にいなくなった今、時に私のような家族以外の他人がそれをしなければ、子どもの世界はむしろますます窮屈になる気もします。

この件で感じたのは、大人も窮屈な思いをしているということです。大人も時には責任感や使命感から解放されて、自分の悩みを誰かに打ち明けてみる。そしてあらためて子どもの世界に耳を傾けてみる。それによりもっと、居心地の良いコミュニティが作られるのではないでしょうか。誰にとっても、聴き手は大切な存在であるはずなのですから。


財団法人郵政福祉「りんりん」第196号(2011年9月1日発行)に掲載されました。

いいなと思ったら応援しよう!