身体と脳に効く話 「答え」よりも大切なもの(財団法人郵政福祉「りんりん」第208号(2013年9月1日発行)に掲載されました。)

困った時、問題を抱えている時、ついつい誰かに答えを求めたくなる。

でも本当に必要なのは、答えにつながる過程なのかもしれません。



腰痛が起きた本当の意味

夏の暑さがまだ残るある日のことです。困り果てた様子のメールが一通、送られてきました。送り主は40代前半の女性、Nさん。働きながら子育てをしていらっしゃるお母さんです。腰が痛くてたまらないということなので、ストレッチをしながら少しずつ筋膜のこわばりをほどいていきました。やがて筋肉の凝りがほどけていくと、「実はですね…」と、いま抱えておられる本当の話をはじめます。

相談の内容は、ご長男についてでした。中学生までは学業・スポーツともに優れ、友人も多く、誰からも模範生と言われるお子さんだったようです。ところが高校に入ってしばらくすると、親に対して反抗はする、学校の規則は守らない。つい最近もクラスメートと喧嘩になり、担任の先生に止められたと言います。

ついにNさんは担任と面談することになりましたが、「私自身、もう手のうちようがないと伝えるしかありませんでした」と力なく言います。自分の子どもとどう関わったらいいのかわからない、最後には「先生のアドバイス通りにします」と言うのが精一杯だったそうです。するとその担任は、張りのある大きな声で「正しいことを教えていけば彼は必ず立ち直ります!」と自信たっぷりに言ったそうです。

そう言われたものの、気持ちの中でどこか釈然としないNさん。帰り道に単身赴任先のご主人に電話をしました。「私だけでは手に負えない。一度こちらに戻って来られるかしら?」

ご主人はすぐに新幹線で自宅に駆けつけ、お子さんの最近の様子やストレスから来るNさんの体調不良についても、真剣に話を聞いてくれたそうです、仕事とはいえ、長い間、家を空けなければならない歯痒さがあったのかもしれません。人一倍責任感の強いご主人は、父親として何ができるかを朝まで考えていたようです。


「模範解答」は正しい?

ところが明くる朝、ご主人はお子さんに会うこともなく、本屋に出かけました。たくさんの本を買いこみ、その足で有名と言われる先生を探し、さっそく訪ねたのです。そう、ご主人は迷いもなく専門家のアドバイスに従うことにしたのです。「あの大先生の言うとおりにやれば、きっと上手くいく」という〝模範解答〟が欲しかったのでしょう。

もちろん、それで心のうちが荒れているお子さんと向き合えるかといえば、そう簡単ではありません。子どもは大人のそういう甘さを見逃しません。いくら模範的に振舞っても、自分の心を使わない〝軽さ〟には敏感なものです。

思春期の子どもは、相当に悩んで、ぎりぎりのところでどうにか毎日を生きているものです。日に日に成長する外面だけでなく、目には見えない内面でも日々大きな変化が起きているのです。それなのに、親は自分で考えることもなく、他人の考えを受け売りしている。しかもそれで自分を操作しようとしていると感じたら、どうでしょうか?

確かに、我々が生きている社会全体が、正しい答えを知っている〝先生〟に教えを乞い、それを実行すれば評価されるという一面はあります。しかし、Nさんの息子さんは、そういう枠組みに疑問を感じ、傷つき、態度や言葉、また身なりで大人に疑問を投げかけているのです。

ご主人や担任の先生の振る舞いが、ますます息子さんを荒れさせていることに気がついたNさん。私は「アドバイスはできませんし、我々にできることは非常に少ないかもしれません。ただ、手も口も出さないけれど、心だけはしっかり使うことはできると思います」とお伝えしました。


〝心の揺れ〟を感じつつ

Nさんはその言葉を噛みしめるように、何度もうなずいていました。ただし、実際にやってみるとよくわかりますが、親が見守る態勢に入ろうとすると、逆に子どもは親が思わず手や口を出したくなることをするケースが多いようです。これには我慢が必要です。子どもとしては、そうやって本当に親という大人が信頼できるのかを確かめているわけです。

案の定、翌週のセッションでNさんの筋膜はますます硬くなっていました。かなり我慢されているのが伝わってきます。そして「実は、少しだけ口を出してしまいました」と申し訳なさそうにおっしゃいます。

「わがままを言うなと怒鳴ったのですが、私も後味が悪いというか、やってしまったなあというか…」

それを聞いて私は安心しました。そういう葛藤をする気持ちがあるのなら、いくら口を出してもらってもかまいません。自分のやっていることに意味があると信じきって怒鳴るのと、心の揺れがありながら怒鳴るのとでは、意味がぜんぜん違います。

数週間後、Nさんからメールが届きました。「私たち大人が振り回されているうちに、あの子はいつもの様子になりました。いまでは普通に話もできます。ただ、私としてはそのぶんエネルギーを使っていますので、また身体をほぐしてくださいね」と。

私たちが生きる日常では、意味や答えばかりを考えているうちに、問題がどんどんこじれてしまうことがあります。しかし、形式的な答えに捉われそうな時ほど、実は心の内をしっかり感じてみることこそが大切なのかもしれません。そうやって葛藤を抱え、不器用ながらも生きていく。そんな大人の背中を、子どもたちを見つめているように思うのです。


財団法人郵政福祉「りんりん」第208号(2013年9月1日発行)に掲載されました。

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