身体と脳に効く話 〝あの頃〟の写真をジッと見つめてみる。(財団法人郵政福祉「りんりん」第202号(2012年9月1日発行)に掲載されました。)
人の記憶とは、とても不思議なものです。楽しかったことも、辛かったことも、ふとしたきっかけで、走馬灯のように呼び起こされます。
常に不機嫌そうな女性
記憶の蘇り方は、記憶の種類によっても違います。楽しい出来事は、一瞬で呼び起こされますが、悲しみや苦悩は、ゆっくりと時間をかけて浮かんでくることが多いものです。そう、あたかも「腫れ物に触る」ように。それはきっと、私たちの脳も、痛みに警戒しているからなのでしょう。
まだ駆け出しだった頃のことです。修行先の治療院に足しげく通ってくれた、一人の女性がいました。すらりと背が高く、丈の長いスカートをはきこなし、いかにもキャリアウーマンという方でした。初めてお会いした時、「私は肩だけが痛いの。だから、他は触らないで欲しい」と、ややきつい口調で言われました。
しかし、実際には痛みはどこか一部分の問題で生じることはありません。首や腰などの生体物理的なバランス。あるいは、ストレスによる筋肉の過剰緊張によっても引き起こされます。複眼的な視点を持ち合わせていなければ、とても人間の複雑な身体を理解することはできません。
とはいえ、せっかく縁あって来院してくださったわけですから、彼女の思いを切り捨てるわけにはいきません。
どうしたものかと思案した挙句、「どのような理由かはわかりませんが、肩の緊張だけをほぐします。ただ緊張がなかなか抜けないようなら、他の原因も考えられます。その時には全身をチェックさせてください」とお話しました。
整体を受けている間の彼女は、いつもいかにも不機嫌そうに黙っています。「お仕事が忙しいんですか?」と尋ねても、「私はここに休みにきているの」とだけ短く言い、しばらくすると小さく寝息を立て始めます。私はとまどいつつも、「時間をどう使うかは依頼者の自由だ」と、再三自分に言い聞かせ、筋肉の緊張をとることに専念しました。
この場合は違いますが、「自己愛タイプ」な方のケースでは、わざと傲慢に振舞って時間をオーバーしたがるなど、自分の権利ばかり要求されるかもしれません。それに対して、「お客さまは神さまです!」と何でもかんでも従うのも、逆に、こちらの意見を押しつけるのもまずいです。お互いが上手くやるには、事前にルールを共有しておくのがけっこう大事だと思います。
思いがけなかった依頼
そんな風に、言葉を介さない味気ないセッションが何度か続いた後のことです。ある日、肩だけをほぐしたいと言い、ほとんど会話もしないでいた彼女が、思いがけないことを依頼してきました。
「ここじゃ落ち着かないから、家に来てくれる?」
それからしばらくして、彼女の家に出張することになりました。行ってみると、観光地から路地を抜けたところにある大きなお屋敷でした。母親と二人暮らしだそうで、家中にどこか寂しげな雰囲気が漂っています。
「悪いわね。こんなところまで」「いえ、呼んでいただいて、ありがとうございます」、挨拶を交わし、いつものように、ベッドに横たわってもらい肩をほぐそうとした時です。
「私はもうすぐ会社を辞めさせられるの。あれだけ会社に尽くしてきたのに、若い子を入れたいそうよ」
そう言うと、深くため息をつき「会社を辞めたら、しばらく旅行にでも行きたいわ。残りの人生でやることといったら親の介護くらいだもの」と続けます。私は何も言えないでいました、ただ、その言葉を聞いて、治療院で押し黙っていた彼女の気持ちが、少し分かるような気がしました。
あるセッションの時は、彼女の母親にこう言われました。
「この娘ったら、私のことばかり気にかけているでしょう。娘にも子どもでもいればよかったのにと、いつも思ってるんですよ」
治療院にいると分からないことが、ご自宅に行くと気持ちも含めて全部見えてくるものです。治療院でぶしつけだった彼女の態度はすっかりなくなり、ゆっくり、少しずつ、自分のことを話してくれるようになりました。
自宅に出張するようになって数ヶ月後、彼女は、一冊のアルバムを見せてくれました。かつて結婚していた頃に、ご主人と笑顔で語り合っている写真です。
私は戸惑いつつ彼女を見返しました。写真に目をやる表情はどこか柔らかで、少し微笑んでいるようにも見えますが、口元はしっかりつ結ばれています。私はそこに、言葉にすることのできない想いを感じました。この人は悲しい気持ちをずっと閉じ込めているのかもしれない。「泣いては生きていけない」と、どうにか頑張ろうとするひたむきな想いが、身体中の筋肉をこわばらせ、肩の痛みにつながっていたのかもしれません。
気持ちを押し殺して我慢してきた方は、頭痛や首の痛み、背中痛や腰痛、胃腸障害や自律神経失調によるだるさに悩まされている人が少なくありません。普段から、気持ちを溜め込みすぎないように、少しずつ話していく習慣が大事だと思います。定期的なセッションをおすすめするのはそのためです。ただ、話をすることが難しい場合には、気持ちを和らげるボディワークが気持ち的に楽だと思います。ストレスになっている出来事を思い出している際に、役立つ姿勢や動作を探していきます。
笑顔だった自分に出会う
人には誰でも、触れて欲しくない過去があるものです。その心の傷は、時間の経過と共に徐々に癒えていくものかもしれません。しかし、時に堪えきれなくなってしまう過去もあるはずです。そこで逃げずに、今感じている気持ちをぎゅっと抱きしめてみる。そうすることで、傷は癒されていくような気がします。
たまには、押し入れからアルバムを取り出してみる。そして、そこで笑っている自分の写真を探してみる。たとえ、どんな辛い時期でも、そこには微笑んでいる自分がいた。そう確信することで、悲しい記憶もまた少し、形を変えるかもしれません。
彼女はいま、母親と旅行にでかけています。始めは膝の悪いお母さんを心配して躊躇していましたが、「でも、今しかできないことよね」と決意し、思い出作りの旅に出かけたのです。昔に戻る方法はありません。しかし、思い出を新しく作り出していくことは、いつどんな時からでもできるはずです。そう考えたら、どんな出来事でも、一回限りのとても貴重な出来事になるのではないでしょうか。
財団法人郵政福祉「りんりん」第202号(2012年9月1日発行)に掲載されました。
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