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隔週連載エッセイ 遠藤習作 2021/2/8 vol.2

緊急事態宣言2020


ちょうど昨年の今頃はインフルエンザがどうの、ってどちらかというとコロナよりインフルエンザがメインでみんなうろたえていたように思う。
でも、地元の横浜に例のクルーズ船がずーっと停泊していたり、
仕事であるライブイベント制作も軒並み中止や延期になって行ったり、
あららら、という渦中に放り込まれていく感があった。


とにかく、我々の仕事は目の敵のようにされた。
テレビをつければエラいお医者さんが「ライブハウスなどのイベント、これは引き続き
控えていただく、という事でお願いします」と言っていたり、
ネットを開けば「ライブハウスなんてイラネ」とか心ない言葉をたくさん見かけるようになり、時間ができる、のと同時にどうしようもない不安でいっぱいになっていった時期だ。
とうとう、事務所であるライブハウスの会社も自粛を決定して、
まったく仕事がなくなってしまった。
唯一、ラジオ制作の仕事、そして自分がアーティストのお相手を務めるアーティストファンクラブのネットラジオ、の仕事だけ残って、あとは自宅で自粛と相成ったわけだ。


毎晩夢を見た。
悪夢ではなく、普通に…朝、ライブハウスに到着して、腕利きのローディー(アーティストの楽器メンテナンスやステージでの楽器の調整をするお仕事の皆さん)の方と言葉を交わし、ハイエースから重たい楽器を下ろして、ライブハウスに搬入する。
イベント制作の○○さんに声をかけ、アーティストが会場に到着するのを迎え入れる。
リハーサル、本番─普通にあった1日の流れを、そのまま夢で見ていたのだ。
毎晩、毎晩。
自分のDJの夢もあった。自分がやっているバンドのライブの夢もあった。
毎晩、毎晩。「これ、ちょっとおかしいんじゃないか?」と思ったのは、
夢が2週間近く続いてからだった。
あまりそれまで、自分が精神的にどうの、という経験をしたことがなかったから、
戸惑いと不安が一気に押し寄せてきた。
どちらかというと、自宅にいるのは苦なタイプじゃないし、レコードの整理や部屋の掃除、
それまで時間がなくてできなかった整理などをやっていたので、順応するのは早いな、と思っていたのに。
朝、例によって夢で起きた。まだ早い時間、5時前だ。
「歩いてみよう」と本能的に思った。
身体がなまっているのもあったし、歩く、というのは、車の免許を取るのが遅かった自分には一番身近な移動手段だったから。
緊急事態宣言で静まり返った街の夜明け、まだ春先だったけれど、
誰も歩いていない。
まずは、自宅からいける距離、みなとみらいまで歩いてみることにした。
車で道は知っているけど、車では通れない抜け道がある。
きつい坂道。横浜は坂が多い。
一通り歩いて帰ってくると、それなりに疲れと、ちょっとした爽快感があった。
その晩は夢を見ることなく眠れた。
翌日も出かけた、そのまた翌日も行った。
何なら早朝に開けているスーパーで買い物まで済ませて、
朝しか外に出ない日もあった。
距離も日に日に伸びていき、スマホで管理すると10km以上歩いている日がザラになった。
そのうち、足に痛みが出てきた。変な場所が痛いのだ。
ネットで検索すると、「疲労骨折」と書いてある。マズい。
自宅の階段を登ると痛みが出る。
仕方なく、整形外科へおそるおそる行ってみた。
地元の医者界隈ではエラいと噂の整形外科医は、レントゲンを見ながら
「あー、腫れてるけど、骨折はしてないよ。なんかやってるの?」とラフな感じで
聞いてきた。
「いや、ちょっと散歩、っていうか、ウォーキングみたいな…」
「へえ。毎日?どのくらい?」
「はい、だいたい毎日。えっと、15kmぐらいですかね…」
えええ、とお医者は言いながら、キッと顔を見ていった。
「毎日15kmも歩いたらこうなるよ!止めるか減らしなさい!」
散歩はあえなく止めなくてはいけなくなった。
しかし、夢、例の夢を見ることは減っていった。


あれは、何だったんだろう。日常をいきなり取り上げられた心の叫びだったのか。
いまだに不思議なままだ。
一年後、まさかまた緊急事態宣言が出るなんて思ってもなかった。
ただ、前回と違うのはわりとその生活に順応してしまっていることだ。
いいのか、悪いのか。良くはないな……

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